「十年後見ても分かるプログラム」がより難しい。
理由は、授業というものは、当時の常識、確立された理論、
あるいはたとえ前衛的でも、ともかく他人に教えるために
体系化された知識を示すものであるから、それなりに理解可能。
一方、プログラムは、(授業用の例題でなければ)、
新規の課題を解決するために、仮に外部仕様が提示されていようが、
新規のロジックを組むものであるから。そして、多くの場合、
「他人に教えるため」には体系化されていないから。
ぼくが、プログラムを書く人間からかもしれませんが、sibasyun さんとは逆の意見です。
授業のノートの方が難しい。
授業を受けているときは、自分が知らない、もしくは、分からないことを聞いてノートを取るわけで、そのときの自分ですら、分かるようにノートを書けるかどうか、とても怪しい。
ましてや、後の自分のことなんて。
もし、授業を聞いてる時点で、分かっている内容だったら、多分、ノートを取らない。
プログラムを作る場合には、動くことが分かってて作るんです。
ただ動けば良いプログラムなら、書き方は何通りもあります。
特に、仕事で作る場合には、一緒に仕事をしている人が見ても分かるように書く、ということを当たり前のようにやります。
作った本人が、いつまでも面倒を見られるわけでは無いですし、また、プログラムの間違いがあるかもしれないので、他の人に見てもらう(レビューって言います)ことをします。
というわけで、自分では、プログラムは(将来の自分を含めた)他の人が見ても分かりやすいようなものを書くように意識してやってますが、ノートの場合には、取るだけが精いっぱいのような気がします。