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漢詩の語訳をお願い致します。
軸の持ち主も内容が分からないようで、この場で質問させていただいています。
黒田藩の家老、立花実山の遺詠との事です。
よろしくお願い致します。

軸の画像は下記のサイトをご覧ください
https://www.dropbox.com/sh/5xnxlglrli90wyw/q_aAyZEl4J

●質問者: slowdancing
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● chinjuh
●100ポイント

1. 千の流れ、萬(万)の派(波)も、ひとつの水の源より
2. 萬の派、千の流れも、ひとつの水源より
3. 茶は君のところにある、すみやかに飲んで行きなさい
4. 趙州頭上に展痕なし


1行目は呻吟語という中国の古典にある「水千流萬派,始於一源」からとったものだと思います。普通はその次に「木の千枝萬葉は…」と続くんですが、ご質問の文章では2行目もほとんど同じ文章になってます(多少ニュアンスが違うかもしれないんですが、わたしにはよくわかりません)。

3行目は読んでそのまま。邊=辺 喫=飲む、去=行く

4行目の「展痕」がなんのことを言ってるのかよくわからないんですが、頭上に邪魔なものがない→自由である、というような意味かと思いますが、これは自信がありません。


slowdancingさんのコメント
回答ありがとうござます。 1?2行目は中国の古典からきてるんですね。

2 ● 松永英明@ことのは
●100ポイント

■千流万派 一源の水
■万派千流 一水の源

千や万の流派も一つの源の水から始まり、一つの水が源となっている。茶道の流派がいくら分かれていても、もとをたどれば千利休。

■茶、汝が辺に在らん、遄(すみやか)に喫し去れ

茶が近くにあるならば、すみやかに喫茶して行け。

■趙州頭上 屐痕無し

趙州和尚は唐代末の禅僧です。禅の公案は趙州和尚と弟子の問答から生まれました。

「趙州和尚が頭上に草履を載せたがそのはきものの痕はなかった」
というエピソードは、碧巌録に載っています。
お寺の東西の堂の僧たちが、ネコについて争ったことがありました。そのとき、趙州の師匠の南泉は僧たちに質問し、「答えられればネコを斬らない」と言いました。誰も答えることができず、南泉和尚はネコを両断して殺して捨てたのです。
その後、南泉は弟子の趙州和尚にこの話をしました。すると、趙州和尚は草鞋を脱いで頭上に載せて出て行きました。そこで南泉は「お前がもしあのときそこにいたら、ネコの子は命が助かったのになあ」と言った、というエピソードです。

いわゆる「禅問答」の世界ですからうかつに「わかった」という人ほどわかっていないことになるのですが、簡単にいえば「どうでもいいこと(ここでは流派)にとらわれるな」ということになろうかと思います。

どんな流派だろうともとをたどれば千利休なのだから、今、そこにある茶に専念しなさい。というようなことになるでしょうか。


chinjuhさんのコメント
展ジャナクテ屐ダッタノカ…orz

slowdancingさんのコメント
なるほど、そういう意味でしたか。 私も自分なりに少し深く考えてみたいと思います。 回答ありがとうござました。

3 ● mododemonandato
●100ポイント ベストアンサー

これは茶道に関するもので、茶道を知らなくては言葉の意味が判ってもその意を汲むのは困難な遺詠と言えるでしょう。
貴方が茶道を嗜んでいるとわかったので、心に当たる事があればその意を知ることも出来るかもしれません。

? 千の流れ萬の波も一つの源よりの水である。
? 萬の波、千の流れも一つの水の源となるばかりである。

このように同じような言葉が繰り返される時は順逆の意味になることが多い。

意訳

千の流れ萬の波も一つの源よりの水であり、萬の波千の流れも一つの水の源となる(一つの源に還る)ばかりである。

? 茶は汝の辺にあり、すみやかに飲みなさい。

去は去るの意味は無く、強調の助詞となります。

直訳は
(茶は貴方のそばにある、速やかに飲みなさい)
となりますが、これは掛詞になっているようです。、

茶と言う言葉で茶道全体か、茶道の本質という事を表わします。
すると喫するのも、察するとか把握する事となります。

意訳すると
(茶道とは貴方の身辺日常にあるものである、速やかにそれを察しなさい)

? 趙州頭上 屐痕無し

意訳すると
(履を頭上に掲げて公案を解いた趙州和尚の頭上にも、すでに履跡などはなく日常に復したように)

全体を意訳すればこうなります。
(多くの水が一つの源から始まり、一つの源に還るように、茶道も身辺から始まり、そこに還る。
それを速やかに察しなさい。
趙州和尚は公案を解くために頭上に草履を掲げるような真似をしたが、もはやその跡も無く日常に復したように)

これで何か心当たりがあるでしょうか。
貴方が茶の道を行く一助となられれば幸いです。


slowdancingさんのコメント
とても分かりやすく解説して下さりありがとうございます。 南坊流を広めた立花実山だからこその遺詠と言えるのかもしれませんね。 真意とまではいかずとも、思いの断片にすこし触れられたように感じます。
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