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ジョン・フォン・ノイマンが1946年にシカゴ大学で行った講演『数学者』は、よく読むと『数学者の怠慢』あるいは『数学者の犯罪』、『経験主義から乖離して堕落した数学を回生する手段』といったタイトルがふさわしいほど、現代の数学者を批判しています。現実離れして、バロック様式に陥った数学に未来はないという危機感に満ち溢れた講演内容です。この論文をきちんと読みこなして、同意したうえで紹介したり、あるいは、反論している数学者は日本にいるでしょうか。あるいは世界的にいるでしょうか。(参考和訳をコメント欄に掲載します)

●質問者: ShinRai
●カテゴリ:学習・教育 科学・統計資料
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● meefla
●100ポイント ベストアンサー

ノイマンの『数学者』での主張は、現代における 応用数学(Applied mathematics)を考えれば、先見的なものだと言えるでしょう。
反論は見つからなかったので、「同意したうえで紹介」したものをいくつか。

まず、数学者限定で。
"John von Neumann’s Analysis of Gaussian Elimination and the Origins of Modern Numerical Analysis"
http://www.mathe.tu-freiberg.de/~ernst/Lehre/Grundkurs/Literatur/grcar2011.pdf
作者は、SIAM: Society for Industrial and Applied MathematicsJoseph F. Grcar にあるような経歴の人です。
PDF の20ページ目、"2.8. Numerical Analysis as Mathematics"

von Neumann ... is recognized as founding several fields of mathematics, particularly
applied mathematics.

のあたりに『数学者』からの引用も記述されています。

もう一つ、カリフォルニア大学バークレー校の統計学教室、David Aldous 氏の ホームページ にある Mathematical musings: Pure and applied. は、『数学者』からの引用で始まっています。

Commentary. One of the few well-known quotes that seems to me exactly right and needs no further comment. Except that the whole essay is worth reading.


数学者からは外れますが、"John von Neumann 1903-1957"
http://www.infoamerica.org/documentos_pdf/neumann01.pdf
の3ページ目、"3.2 Von Neumann on mathematical rigor" に記述があります。
また、John M. Lawler 氏の Von Neumann on Danger Signals は、トップページの記述によれば

A Word of Warning about theories, by John von Neumann.

だそうです。

以上、お役に立てることを祈りつつ。


ShinRaiさんのコメント
ちょっと感激しました。いえ、すっごく感激しました。 よく見つけてくださいました。ありがとうございました。

ShinRaiさんのコメント
ちなみに日本にはいないということになりますか。

meeflaさんのコメント
いないとは言えませんが、ネットで探した限りでは見つかりませんでした。 『経済方法論から見たノイマン』 http://morita.tateyama.hu/pdf_isei/isei-09.pdf の5ページ目に引用が載っている、というくらいで、 これは数学と言うよりは経済学の文献(しかもハンガリー語の和訳)ですね。

ShinRaiさんのコメント
ものごとをつきつめて考える中欧の伝統でしょうか。数理経済学という学問は、はかない一時的な流行病のようなものだということを感じさせてくれますね。 「経済学への数学の適用を支持する二つの主要な主張」のどちらもが根拠のないものであること、とくに最初の主張も単なる経験則でしかないことを、ノイマンはわかっていたということになりますか。 "Looking Ahead"というノイマンの論考は、どこかで話されたスピーチか、スピーチ原稿だったのでしょうか。 :ノイマンもワルドも抽象経済の均衡理論の研究を続けなかったのは、偶然ではない。二人とも、比較的早い時期からアメリカの「数量経済学の賢人たち」の周辺に集まる研究者と密接な関係を築いていた。コールズ委員会の「選ばれた賢人たち」の研究室から、新古典派一般均衡の現代的理論モデルと存在証明が生まれた。しかも、そこではノイマンの手法の革新性を追及し、かつそれを発展させる試みが行われていた。にもかかわらず、ノイマンはこの問題に深入りすることはなかった。「バロック的な廃頽」に向かい、経験的実証的な足場を失ったような課題の追求に、天より授かった類稀なる才能を浪費してはならないという天才の直感が働いていたのかもしれない。 経済学への数学の適用を支持する二つの主要な主張がある。一つは、数学的(公理論的)論理の厳密性こそ、真理を導く強制力であるという主張である。今一つはガリレオの有名な定理、つまり「宇宙は数学言語で描くことができる」という主張である。 やや高慢な言明や、本稿のこれまでの展開で示された筆者の不満から、自らが専攻する学問分野や活動を責めていると考えてもらいたくない。そうではなく、水が半分入ったコップを見て、半分は空だと言っているにすぎない。 「すべての科学はこのように始まり、科学としての経済学もわずか数百年の歴史しかもたない」にもかかわらず、分析対象はきわめて複雑であり、「本質的な概念構成、実際に使用できる思想を発展させるような研究が、多く必要とされている」(ノイマン、1955、1965年 Neumann J?nos [1956, 1965]: Looking ahead.)
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