金刀比羅宮は、お寺ではなく神社です。明治元年 (1868年) 、仏教を排除しようとする廃仏毀釈という政策により、金刀比羅宮は本尊にかわって大物主大神を祭神としました。お寺でいうところの本尊は、神社では主祭神となります。そして、金刀比羅宮の主祭神は、大物主大神です。
「こんぴらさん」と呼んでいるのは、金刀比羅宮の主祭神である大物主大神のこと、あるいは、金刀比羅宮という神社のことなのでしょうね。
明治初年の廃仏毀釈の際、旧来の本尊に替わって大物主大神を祭神とした例が多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%89%A9%E4%B8%BB
一例:香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮は、本来は寺院だったものを神社に変更してしまい、その際本尊としては十二神将の一人の宮毘羅大将だったものを大物主大神に変更している。しかし、明治の諸改革は王政復古をポリシーに掲げていたので、中世、近世のご本尊は古代の神社登録資料にも沿う形で行われたので必ずしも出雲神への変更が的外れでなかった場合が多い。
「金毘羅大権現」について教えていただけないでしょうか。
香川県琴平町に位置する金刀比羅宮は、中世以降、神仏習合の流れの中で本地垂迹説により、金毘羅大権現と呼ばれました。
それまでは、琴平社と称していました。中世以降とあいまいな表現をしているのは、厳密にいつからというのが定まっていないためです。
金刀比羅宮は明治初年、神仏分離の流れの中で廃仏毀釈によって、金毘羅大権現が廃されました。
金毘羅大権現は、十一面観音菩薩を本地仏とし、ガンジス川にすむワニを仏法の守護神として神格化したクンビーラ (金毘羅 Kumbhīra) が由来とされ、主として海上守護の神として信仰されました。
簡単ですが、ご参考まで。
既にご覧になられているかもしれませんが、ご参考になると思われるページを以下に示します。
◇金刀比羅宮 - Wikipedia
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり[1]、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%88%80%E6%AF%94%E7%BE%85%E5%AE%AE#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。
金刀比羅宮の由緒については二つの説がある。一つは、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするものである[2]。もう一つは、もともと象頭山にあった真言宗の松尾寺[3]に金毘羅が鎮守神として祀られており、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする[4]。
◇金毘羅権現 - Wikipedia
象頭山松尾寺[1]の縁起によれば、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅(宮比羅、クンビーラ)の神験に遭ったのが開山の由来との伝承から、これが象頭山金毘羅大権現になったとされる。象頭山金毘羅大権現は、十一面観音菩薩を本地仏とした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AF%98%E7%BE%85%E5%A4%A7%E6%A8%A9%E7%8F%BE#.E7.94.B1.E6.9D.A5
クンビーラ(マカラ)は元来、ガンジス川に棲む鰐を神格化した水神で、日本では蛇型とされる。クンビーラ(マカラ)はガンジス川を司る女神ガンガーのヴァーハナ(乗り物)でもあることから、金毘羅権現は海上交通の守り神として信仰されてきた。特に舟乗りから信仰され、一般に大きな港を見下ろす山の上で金毘羅宮、金毘羅権現社が全国各地に建てられ、金毘羅権現は祀られていた。
◇金刀比羅神社 - Wikipedia
江戸時代に船による流通が盛んになると、海運業者や商人によって金毘羅信仰が日本中に広められ、分社が各地に作られた。明治維新による神仏分離・廃仏毀釈によって神仏習合の金毘羅大権現は廃され、大物主神を主祭神とする神道の神社になった。現在、金刀比羅神社・琴平神社は日本全国に約600社ある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%88%80%E6%AF%94%E7%BE%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE