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「卑怯」と「戦術」

境界線は、どこにありますか?

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:趣味・スポーツ
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

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1 ● 匿名回答1号

「場」にあると思います。
例えば恋人をかけての勝負の場合、卑怯にあたる行為をしたらその時点で勝とうが負けようが、恋人は離れるでしょう。
死ぬか生きるかの場合、卑怯とか言ってられないです。大量のゾンビに襲われた時に卑怯も戦術も無いです。生き残れればいいのです。
時期的にオリンピックの事でしょうけど、そう書かないならこう書くしか無いですね。
で、オリンピックに限定すれば、審判買収は選手の力量に関係ないので「卑怯」でしょう。これは問答無用です。
選手自体だけで言うのであれば、ルールを守るか否かだけだと思います。


匿名質問者さんのコメント
ルールを守っていれば、戦術で、ルールを守ってなければ、卑怯、という線引き、ということですか? ルールを守ってさえいれば、卑怯だとは言えない、ということでよろしいでしょうか?

匿名回答1号さんのコメント
その通りだと思います。ルールで道着を直すと決められているのにいつまでも直さなかったり、袖の短い柔道着を着てきたり、腕の関節を決めたまま倒れたりという反則技を使ったりは、全部ルールを守っていないので、完全に「卑怯」という事になると思います。

匿名質問者さんのコメント
ルールの隙間をついて、正々堂々と戦わないのが、卑怯とそしられるのではないか、と思うのですが、その点についてはどうでしょうか? また、反則(ルールに違反した)とはいえ、故意ではなければ、卑怯とは言えないと思うのですが、どう思いますか?

匿名回答1号さんのコメント
>ルールの隙間 ルールに違反していないのであれば、いずれそれがスタンダードになり、それを崩す手も常套化します。カードゲームが顕著ですね。 >故意ではなければ、卑怯とは言えないと 柔道に限れば、あの技を複数回使った上に審判にも相手にも「いまの反則でしたすいません」アピールを全くしなかったのですから、完全に故意ですがね。 故意で無い場合、それをフォローするルールがあれば、それをすればいいかと思います。サッカーのわざとラインの外にボールを蹴り出す行為とか。

匿名質問者さんのコメント
>> >ルールの隙間 ルールに違反していないのであれば、いずれそれがスタンダードになり、それを崩す手も常套化します。カードゲームが顕著ですね。 << スト2のはめ技とかも、同じ部類ですね。 ゲームの場合には、割と許容されるような感じはします。 スポーツマンシップとか、騎士道、とか、正々堂々を善しとするケースの場合に限って質問すればよかったか。

2 ● 匿名回答2号

立場によります。
勝負事は何でもアリで「勝った方が正しい」のですが、負けた方の立場で言うと「卑怯」な事でも勝った方に言わせると「戦術」になります。
宮本武蔵の遅刻とかね。


匿名質問者さんのコメント
つまり、卑怯とは、特定の戦術の、ある側面であって、線は引けない、ということですか? 「勝つためには、何でもあり」という考え方は否定しませんが、その延長線上に「卑怯」と称される手段があると思うのですが。

匿名回答2号さんのコメント
弱みを見せる方が悪い。 負け犬の遠吠えは常に無視されます。 関ヶ原の裏切りとかね。

匿名質問者さんのコメント
戦争だと、そういう考え方になるのは、自然かとも思います。 「道」が付くような勝負事の場合でも、そう思いますか? 何をやっても勝てばOK、という行為が「卑怯」とそしられるのではないかと思うのですが。

匿名回答2号さんのコメント
敗者の文学と言うのがあります。 卑怯だとか情けないとか言って勝者の非を論うのですが、あまり一般的ではありません。 王道はあくまでも勝者が改竄した歴史であり、多数派の思想が唱える道なのです。 キリスト教は愛の思想だと自称していますが、これほど多くの殺人の理由になった宗教は無い。 中華思想は王者の行った蛮族の成敗を褒め称えますが、殺戮された方としては承認し難いでしょう。 ビショップ(僧侶)の駒も戦力なのです。 宗教ほど多くの犠牲の原因になったものはありません。 日本でも一向一揆は攻め滅ぼされた側にとっては災厄そのものでした。 寺社の特権を黙認した支配階級の弱腰が多くの犠牲につながりました。 このように、大きな歴史の中では常に「勝った者が正しい」のです。 感情の入る余地はありません。 哀れだのなんだのは後からの理由付けに使われるだけです。 祇園精舎の鐘の声・・。

匿名質問者さんのコメント
「戦争」を離れて、「試合」という場に限った場合、どうなるでしょうか?

匿名回答2号さんのコメント
様々な条件を付けた場合の勝負ですね。 条件に違反した場合はルール違反で失格かペナルティーですが、ルール違反ではないけれど・・といった場合もありますね。 何でもアリの戦争と違って、試合では通常はフェアプレーが推奨されています。 フェアプレーの精神に違反した場合はペナルティーとならなくても非難されるべき場合があると思います。 ただ、昨今のオリンピックに代表されるプロスポーツ化した国際大会では本音が漏れる事もあると思います。 ドーピングとならないような薬物使用も多く行われているようですし、選手は収入のためにプロとして戦っていると言える。 アマチュアリズムを問うべきかどうか?曖昧な場合が多い。 今やっているオリンピックで、本来のアマチュアとして、仕事のかたわら練習して国内の大会を勝ち上がり、オリンピックに出場した選手がどれだけいるか疑問です。 観客もショーとしてスポーツを見ているのであり、試合の中継もスポーツショーの中継です。 国家の事業としてスポーツ選手の育成やってますしね。 何を今さらと思える事も多々ある。

匿名質問者さんのコメント
たくさん書いていただきましたが、要約すると「線引きは難しい」ってことで、よろしいでしょうか?

匿名回答2号さんのコメント
だから、最初から「立場による」と書いています。 立場が明確であれば簡単に線引きできます。 難しいのではありません。

3 ● 匿名回答3号

そもそも両方を比較できないと思います。例えば「卑怯な戦術」というものが存在するので、線引きできないと思います。

卑怯かどうかは心理的な問題で、戦術は技術的なものです。柔術と柔道、剣術と剣道を比べるようなものだと思います。


匿名質問者さんのコメント
>> 例えば「卑怯な戦術」というものが存在する << では、あなたには、こう聞けば良いですか? 戦術のうち、「卑怯」というラベルを貼られる一線は、どこにあるでしょうか?

匿名回答3号さんのコメント
そもそも卑怯の言葉の意味は、勇気がなく物事に正面から取り組もうとしないこと(大辞泉より引用)です。一方、競争優位を確立するための考え方(大辞泉より引用)ですから、そこには心理作戦も含まれます。 誰が見ても勝てる相手に対して、さらに有利な条件を手にした上に、心理的な根回しを怠らなければ、誰も卑怯だと感じないはずです。それが戦術の1つのあり方です。つまり卑怯な戦術は、心理作戦を失敗した戦術を展開した結果です。 例えば、正義という概念は非常に抽象的で曖昧なものですが、一般的に受け入れ易い考え方であることは間違いない所でしょう。正義を感じられるように戦術を展開できれば、100%勝てるように仕掛けた戦争でさえ、卑怯に思われる事はありません。 つまり、私に言わせれば、卑怯とは戦術に失敗した証拠でしか無いと考えます。

匿名質問者さんのコメント
言わんとしていることは、分かってるつもりです。 では、こう聞けば良いでしょうか? 根回しが及ばない第三者に対して、その大多数が「卑怯だ」と感じてしまうような一線は、どこにあるでしょうか?

4 ● 匿名回答4号


虚々実々 ? 違いがわかる男のゴールドフレンド ?

9回裏2死、4点を追う全セの打者・松井に対して、全パの仰木監督
が投手・イチロー(!)を起用。すると全セの野村監督が、松井の代打
に投手・高津を送った。結果は内野ゴロでゲームセット。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960721
イチロー vs ゴジラ ? 虚々実々の投打交代 ?


匿名質問者さんのコメント
すみません。 例に挙げていただいたのは、「卑怯」の例なのか、それとも逆なのかが、よく分かりません。 松井と言えば、松井秀喜を全打席敬遠した明徳義塾高校の試合を思い出しました。 ずいぶん昔なので、よく覚えていませんが、「卑怯」という言い方はされてなかったような記憶はありますが、「(高校野球にあるまじき)正々堂々としていない」という論調で報道されていたような記憶があります。 その辺りについて、お考えを書いていただけると、ありがたいです。
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