加点する点
・写真の写り具合が良い(撮り方が上手かったり、これは良いと思った写真)
・感想が上手く書けている(感想が具体的に書けている)
・僕が特に良いと判断した回答など
減点する点
・津々浦々にありそうな風景(例:ビル山など)
*但し、山は山でも富士山などその都道府県にしかないものなら良いです。
・ぼやけていたりして何が写っているか不明
・感想が雑(一、二行だったりなど)
・写真が自分で撮った写真では無く、他の人が撮った写真を転送した場合など
一応100ポイント設定しましたが、とても良いと思ったり特に素晴らしい回答を提供した人には人数関係なしに他の人よりもより多くポイントを配分したいと思います。
私は去年の夏に鹿児島の最南端に位置する、与論島というところに行きました。
そこは、祖父母がすんでいるので3年に一度くらいに行きます。
そこは海がものすごく綺麗です。
ハイビスカスやサトウキビ畑などがたくさんありました。
http://f.hatena.ne.jp/k7k5h6y2-naiki/20120605152324
↑写真、URLでスミマセン
http://f.hatena.ne.jp/k7k5h6y2-naiki/20120825090844
http://f.hatena.ne.jp/k7k5h6y2-naiki/20120825094043
http://f.hatena.ne.jp/k7k5h6y2-naiki/20120825093619
海はエメラルドグリーンで、そこで泳ぐことはサイコーでした。
また、サンゴや綺麗な熱帯魚をたくさん見ることもできました。
ただ、泳ぎ過ぎで日焼けがすごくて痛かったです^^;
ちょっとしたハプニングもありました。
私達が与論島にいるとき、台風が南の方にいました。その台風は大型です。その台風が、与論島に直撃したため、2日も飛行機がとべなく、帰る日が遅れました。
風と音がすごくて、家がゆれているような感じがしました。夜は眠れないほど怖かったです。
停電も何回もおこりました。
沖縄の台風がこんなにすごいなんて本当にびっくりしました。経験はできました;
台風のあとはサトウキビが倒れていました。
http://f.hatena.ne.jp/k7k5h6y2-naiki/20120825093620
与論島の魅力は、海が凄く綺麗なこと。
夜は街灯がないので、星がものすごく綺麗なこと。天の川がうっすらですが見えます。たまに、流れ星を見ることもできます。
自然豊かで海で囲まれているので、海風が気持ちいいです。とても涼しいです。
また行きたくなる、そんな魅力あふれる島です。
P.S.
写真の載せ方が分からないのでURLで紹介させてもらいました。
1999年に両親の故郷である鹿児島県南端の与論という島に行きました。
家の近くの海岸。
ツノダシ。私が子供の頃は与論の魚は水中で伸ばした手のひらと水中眼鏡の間を平気で泳ぎました。その後、熱帯魚が乱獲され警戒心の強いものが残りました。
島の最高峰の城(グスク)から。海抜100m。夏から秋には次々に台風が来て船も飛行機も止まり、商店からパンが無くなる。
懐かしい両親の家や庭の住人たち。
アオカナヘビ。
オカヤドカリ。農作物に甚大な被害を与えた巨大なカタツムリ、アフリカマイマイの殻を背負っています。
サトウキビ畑。
朝顔のようにどこにでも咲いているハイビスカス。
当時は鹿児島までYS-11が飛んでいました。
自分自身のルーツについては人に伝えにくい感慨がありますが両親も亡くなり家も人に貸して放置してあり繋がりを失いつつあります。
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toshi_nishida ●30ポイント ベストアンサー |
生まれ育った鹿児島です。鹿児島湾を隔てて桜島が見えますが元は桜島の名が鹿児島だったと言う説もあります。鹿児島市の繁華街から徒歩20分ほどの城山の展望台から撮っています。つまり鹿児島の私の両親の家から徒歩20分ですが父が亡くなったのを機会に売ってしまい現在は鹿児島には私の居場所がありません。墓があるので死んだら帰りたいです。
99年12月23日の鹿児島港からの桜島。桜島は夏は緑にくすんだ平凡な山ですが冬には陽が斜めから射して陰影が深く鹿児島は山も空も冬が特に美しいと思います。
2007年春から1年間、福島県の白河に住みました。
夕食後に自転車で散歩した南湖。実際には真っ暗でした。
白河の歓楽街にかかる橋の名は新橋。企業の撤退で飲み屋の大部分がシャッターが閉まったままです。「白河の水に育まれた」と昔サントリーが宣伝しましたが白河にはこれといった大きな川は無く名水の産地でもなくただ白河と言う名前があるだけです。そのサントリーもとっくの昔に撤退してしまいました。
白河の関の跡だと言われている公園。江戸時代の殿様が研究してここだと言ったそうです。関の跡は単に小高く盛り上がった林で、万里の長城のようにはゆかなかったようです。
「都をば霞と共に発ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」は実際には福島に行かず京都の屋敷に数ヶ月間隠れて日光浴をしていたんだ、と詠んだ本人が吹聴していたが実は本当に白河まで行っていた、という複雑なひねくれ方をした人物だったそうです。
2008年2月10日。前年の春に白河に着いたとき、タイヤ屋が多い町だなと思ったのですが、すべての車に8個のタイヤ、夏タイヤ、冬タイヤが用意されていたのでした。冬季は夏タイヤでの通勤が禁止になり、私もYahoo!オークションでホイール付き4個で4800円で2000年製のスタッドレスタイヤを落札した。
福島県は、いわき市を含む浜通り、福島市郡山市白河市などの中通り、会津若松の会津地方と東西3つの地域に分かれ、白河はそのうちの中通りの南端ですが、中通りは南に行くほど標高が高く白河は中通りの都市の中では積雪が多いほうです。
2008年3月31日。もう春だと思ってこの前日にスタッドレスタイヤを処分していたのに、鹿児島に移動すると言う日になって突然雪が降った。幸い道路には積もらず、安全に帰宅することが出来ました。4月2日の朝、鹿児島に到着。