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新潟県には、諏訪神社(大社とか大神とかバリエーションを含めて)が他の県より圧倒的に多く祭られています。

本来は、長野県が発祥と思われますが、新潟県の中越地方に多いように感じています。

この理由はなんでしょうか。


●質問者: MHwQHyLW
●カテゴリ:旅行・地域情報
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

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1 ● MEI-ZA-YU
●100ポイント ベストアンサー

神社の建立は五穀豊穣を祈願する目的もあります。
江戸時代に長野県から新潟県へ多くの屯田兵が新田開発に来て
集落ごとに神社を建立していたので多くなったようです。
新潟県は人口も長野県より多くて、日本一でした。
http://osuwasama.jp/qa.html

新発田に諏訪神社が出来たのは何故ですか

最初、誰が建てたのかははっきりわかりません。信州(現在の長野県)から大勢の人たちが屯田兵として来たので、信州で一番の神社・神様といえば諏訪大社です、そこから御分霊(ごぶんれい)を勧請して祀られたのだと思います。


http://www.n-story.jp/special/46/page1.html

明治26年の調査においても、収穫高が大きい新潟県は人口も全国一(166万人)で、2位は兵庫県(151万人)、3位は愛知県(144万人)、4位が東京(135万人)だった。また昔は集落ごとに必ず神社を祀っていたこともあり、人口が多いということは、自然村が多く、必然的に神社数も多かったということになる。

神社数が多い理由として、江戸時代の新田開発により、数十軒単位の小さな集落ができたことも一因とみられている。五穀豊穣を願うため、集落ごとに必ずお宮さんが祀られた。


meeflaさんのコメント
江戸時代に屯田兵はないだろう、と思いましたが、小中学生用の Q&A だからのようですね。 >http://osuwasama.jp/yuisyo.html:title=諏訪神社 ─ 由緒 ─> この越後の地に於いても住古北夷の来襲に備え、渟足(現在の沼垂)磐舟(現在の岩船)の二柵を置くに当り、当時越後の民族希薄の為、<b>屯田兵制の如く</b>にして信州民を多く移住させました。 << (強調引用者) ただ、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9F%E8%B6%B3%E6%9F%B5">渟足柵</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E8%88%9F%E6%9F%B5">磐舟柵</a> の時代までいっちゃうと『日本書紀』以前なので、古すぎるような気もします。 Google books の <a href="http://books.google.co.jp/books?id=Y_MBKwnilm4C&amp;pg=RA1-PA40&amp;dq=%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE+%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C&amp;hl=ja&amp;sa=X&amp;ei=cHaoULqOKMTTmAXZpoDoDw&amp;ved=0CC4Q6AEwAA#v=onepage&amp;q=%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C&amp;f=false">近世の環境と開発、140ページ、脚注17</a> には、神社が勧請された時期で最も多いのは「天正から慶安年間頃 (1575?1650頃)」とあります。 安土桃山時代から江戸時代の最初の方ですね。 <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%99%BA%E7%94%B0%E8%97%A9">新発田藩</a> が成立して新田開発をしていた時期と符合すると思われます。 「新潟県の宗教空間」 http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M20/M200863/17.pdf にもあるように、諏訪社と浄土真宗の分布がオーバラップしている、という点は興味深い所です。

2 ● gtore
●100ポイント

確かに、新潟県には諏訪神社が多い ですね。
まず、諏訪大社をはじめ、全国の諏訪神社に祀られているのは、建御名方神です。
この建御名方神は、越(現在の新潟含む)の国の神「沼河比売」(ぬなかわひめ)の子であり、長野県から新潟県を流れ日本海にそそぐ姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったといいます。
また、現在の新潟の地の「潟」を干拓して稲作に適した土地に改良したのが、建御名方神であったともいわれています。そのために建御名方神を祀ろうとして新潟の各地に諏訪神社が造られたのでしょう。
この建御名方神は「たけみなかたのかみ」と読み、「みなかた」は「水潟」のことで、元は水神だったともいわれます。
明治時代に 合祀があまり進まなかった ことに加えて、上に述べたことも新潟県に諏訪神社が多い理由と思われます。

新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E5%A5%88%E5%B7%9D%E5%A7%AB

諏訪神社の支社は関東と同じ位、越の国にも多い。その理由の第一は出雲王国の大国主命が越の国の姫・沼河姫を娶り、二人の間に生まれたのが建御名方神と言うこともある。しかしそれだけではない事由が先に紹介した岡田先生の記述の中にある。
越の国の中心は現在の新潟である。新潟の字が示すように、この地は信濃川などの多くの川によって造られた潟が多い土地であった。この潟を干拓して稲作に適した土地に改良したのが、建御名方神だったと言う。

http://blogs.yahoo.co.jp/leg1723/2265279.html
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