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プログラムの写経について質問です。

以前いろいろなブログを読んでいて、「理解できないコードでも日々写経してたらなんとなく分かってくる」みたいなことを書いてあるのを目にしたことがありました。

私も技術書を購入してはコードを書き写して実行したりしますが、一度誌面上でおぼろげでも理解してから、実行して確認するという意味での「書き写す」という作業ではないかと思っていました。

なので上記の記事を読んだときは「理解しないまま書き写すことに果たして意味はあるのか?」と正直思いました。

ですがその言葉がやたら頭に残りました。

例えば英語の勉強などでも、ひたすらヒアリング(リスニング?)することで耳がこえて上達する、みたいなことってありますよね。

それに似たようなことが写経においても言えるのなら、是非がんばってみたいと思っています。

みなさんは写経についてどう考えますか?
また写経で大きな効果を得た経験などありましたら教えてください。

●質問者: kon39392
●カテゴリ:学習・教育
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● pascal7
●34ポイント ベストアンサー

#「理解できないコードでも日々写経してたらなんとなく分かってくる」
あるんじゃないかと思います。
自分は理解しようとして読みますが。

何回も読んでいると最初理解出来なかった部分もだんだん理解度が上がりますよね。

小説や科学の本(進化論とか)、哲学の本も何回も読むと理解度が上がってきますよね。
英語ではCNNニュースなど理解出来ないのに何度も聞いていると少しづつ理解出来るように
なってきます。


pascal7さんのコメント
理解しようと努力して読む方が良いけど くじけるぐらいなら 写経をして(写経している打ちにも少しづつ読んでいるので) 何回もしているうちに読めるようになるという事だと思います。

kon39392さんのコメント
ご回答ありがとうございます。 質問者である私がやろうとしていることのレベルにもよる問題かもしれまんせねね。 あいまいな質問だったのでいろいろな回答がつきましたが、どれも納得のいくものでした。 ありがとうございました。

2 ● oil999
●33ポイント

コードを写経しても技術力は身につきません。
古典や英語の場合、暗記したパターン(単文・複文)をそのまま応用することができますが、プログラム・コードはそうではないからです。

プログラム・コードは、「仕様書→設計書→プログラム・コード」という一連のパターンの一部です。このパターンは論理的に記載されているものなので、そもそも「理解できないコード」が存在するはずがありません。
「理解できないコード」というのは、仕様書や設計書がない(または、これらが論理的に記載されていない)ケースに限られます。

一方、「仕様書→設計書→プログラム・コード」の具体的中身は千変万化であり、いくらプログラム・コードを暗記したところで、そのまま応用できるコードはたかがしれています。
それよりも「仕様書→設計書→プログラム・コード」の論理的パターンを理解し、習得する方が遙かに有益です。


3 ● toshi_nishida
●33ポイント

ぜんぜん無いと思いますよ。英語の歌、フランス語の歌、韓国語の歌だって何万回聞いてもそれだけでは理解できません。テレパシーが無い人は辞書を引かなきゃ理解できないです。一度辞書を引いた歌ならば、その後繰り返し聴くことで聞き取りの力を伸ばす事が出来ます。聞くだけと言う外国語教材は本当に聞くだけではなく、聞くことしか出来ない時間を活用する点に強みがあるはずです。(私自身は試した事がありません。)

プログラムの習得にはサンプルを動かしてみて、改造してまた動かす、動くようにする、というのが一番。但しその間にも言語や装置の仕様に戻って「ナゼ?」を繰り返さなければ応用力はつきません。意味も分からず書き写するだけなんて、人生が永遠にある人以外は試さないほうがいいです。

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