『うたう』
ククワの森。聖地の入り口があるとされ、立ち入りを禁止されている場所で、ククワと呼ばれる樹が生い茂る美しい森だ。聖地の入り口には神殿が建てられ、そこを守るためにククワの民と呼ばれる者が存在する、と何かの本には書かれていた。
しかし森への進入……侵入は呆れるほどに容易かった。入口には立ち入り禁止の立て看板のみで、道はひたすらに一本道。ククワの民の住む小さな村が見えてきても、門はなく見張りも居なかった。
「誰よ、あんた!!」
ふいに聞こえた声に驚き、辺りを見回したが相変わらず人の姿は見当たらない。隣を歩く愛馬のコリンが、足を止めた。何かが居るらしい。
「誰だって訊いてんのよ、無視するな!!」
キンキン声の主を探すと、声のした方――足元に、小人が立っていた。
(……初めて見たなあ、小人)
ゆっくりと腰を下ろし、小人の少女の姿を観察する。昔話の絵本で見たククワの民、小人の一族。背丈は人差し指と親指を広げた長さくらいしかない、小さな人間。普通に生きていれば一生会うことはない筈の存在に、僕は今話しかけられている。3年前の、弱虫だった自分からはとても考えられないだろう。
「黙ってないで何とか言いなさいよ!!」
「え? ああ、ごめん……僕はマチアス。ロビンを探してるんだ」
『ロビン』の名前に、彼女は顔色を変えた。行方不明の少年、僕の友達の名前だ。口を閉ざした彼女に、僕は今までのことを話した。
ククワの民は、精霊が各地で保護した迷子を世話するという仕事を持っているらしい。村の中には小人と子供ばかりで、大人の姿は見当たらなかった。けれど何故か皆僕を見ても驚かない。
「ここで育ったカルガラ人は、神官になって聖地を守るために、大きくなるとこの森の奥にある悟りの樹海で修行をするの。別に大人がいるのが珍しいってことはないわ」
先程のキンキン声よりは落ち着いた声で、小人のリリーは言った。
小さな村は、黄水仙の咲き誇る美しいところだった。小川には清水が流れ、小動物たちは人間に怯えることなく丘を駈けている。
「ここで育ったんだな…ロビンは」
そう思うと羨ましくもあり、少し切なさを感じた。
「長老なら、きっとロビンのこと知ってるわ。ロビンが何故旅立ったのかもいい加減教えてもらいたかったのよね」
肩に座っているリリーは、
「ついてってやるんだから、感謝しなさいよ」と偉そうに笑っている。素直に礼を言ったら、何故か勘違いをするなと耳を引き千切らんばかりに引っ張られた。
「長老、カルガラ人が来たよ。ロビンを探してるんだって」
広間の切り株に腰掛けて、子供たちを笑顔で見守っていた老人に、リリーは声をかける。老人はしばらくしてゆっくり振り向き、僕の姿を見るなり眉間に皺を寄せた。
「ここは立ち入りを禁じられた森だ。何をしに来た、小僧」
長老は傍に立てかけてあった槍を手に取り、鋭い視線で僕の喉元を見据えた。突然の殺気に背筋が冷たくなる。コリンが落ち着きをなくし始め、慌てて首に手をまわして宥めてやった。
「だから、ロビンを探して…」
「リリー、この馬鹿者が!! 何のために武術を習ったか考えろ!!」
気付くと武器を構えた子供たちに囲まれていた。自分が侵入者であることをようやく実感する。今にも跳びかかってきそうな彼らと戦うつもりはないが、どうやら話を聞いてくれそうにない。しかし、見張りが居なかった理由が――戦闘に慣れていることがその隙の無い構えと滲み出る殺気から分かる。
「何か方法は…」
コリンに預けてある荷を見て、何か使えただろうかと考える。背中に背負う剣以外、武器の殆どは運び屋に任せてしまったし、やはり戦闘は避けたい。この状況をどうにかできるものがあったかどうか……!!
――竪琴。
ロビンがあの日教えてくれた子守歌を。彼がいなくなってからも、何度も練習したあの歌を。ロビンがくれた竪琴を取り出して、僕は意識を研ぎ澄まし、繊細な音色を紡いだ。
『この音色が僕の、僕らの絆だ』
ロビンの言葉を思い出す。彼が育ったこの村の歌。少し物悲しい旋律は黄水仙の花咲く森に響き渡る。音の粒一つ一つが、故郷に帰って来られたことを喜ぶかのように弾けた。
ロビンの持っていた筈の竪琴に、そして自分たちしか知らない筈の歌に、子供たちは皆驚いて武器を落とし、長老は槍を静かに下ろした。刺々しかった空気が無くなったころに、弦を弾く指を止める。
「僕はマチアス。ロビンを探しています。彼は大切な友達なんです。何か知っているんだったら、教えてくれませんか」
暫くの間。信じてもらえる自信もなかった。しかし目を逸らさず、訴えかける。
「……信じてみよう、マチアス」
静かに長老は頷いた。リリーが隣で安堵し、僕もホッと溜息を吐いた。
竪琴の音色がまた、僕に新しい繋がりを与えてくれた。
沢山のものが変わってしまっても、それでも変わらないものがあるから、僕らは生きていけるんだろうね。
出会いがあれば別れがある。そんな当たり前のことを、学生時代は知らなかった。知らないふりをしていたのかもしれないし、心の奥で知っていたが前に出なかっただけかもしれない。とにかく、意識なんてしていなかった。気づき始めたのはいつものメンバー全員が大学合格をして、卒業式まであと数日という頃。思い出づくりにいつも以上に仲良くすればいいものを、なんとなくぎくしゃくして、言葉をのせたボールを相手に投げるのだって、恐る恐るになっていた。このままではマズイ、ルームシェアまで考えた仲良し四人組が崩壊してしまう、と思いつつも、そのまま迎えた卒業式。ムードメーカーの旭が、登下校に使う駅で泣きながら抱き合う三人に、涙をこらえた鼻声で言った。
「お酒!」
叫んだ、と言った方が早いかもしれない。旭の言葉に美鈴も藍子もミサも、意味が分からず、涙でグシャグシャな顔を向けたまま、口をあんぐり開けて旭を凝視していた。
「おさけ?」
おっとりタイプの藍子が問う。
「そう、お酒!つまり、ハタチになってこの日を迎えたら、学校にまた集まろう。」
「あんた、何でわざわざ二年も待つのよ。」
ツッコミ役のミサが小突く。三人とも、なんだか冷静になってきた。
「違うよ、連絡をとらないの。それでも二年後覚えていて、集まったら素敵じゃない?」
いかにも天然の旭らしい。お別れの涙はもう止まって、代わりに流れたのは笑いと期待と感謝の涙。
「素敵だね……バカ旭。よかったね、あたしたちが遅生まれで。早生まれだったら、成人式で会うじゃない。」
「あ。」美鈴は、いつもの通り旭を馬鹿にした。笑いが起こる。
それから、ちょうど二年。
「ちょっと、お母さん、なんで起こしてくれなかったの?!」
立川美鈴、ニ十歳と十か月。現役バリバリの大学生だ。
「大学生にもなった子が、耳にタコができるぐらい楽しみだって聞いた日に寝坊するなんて、思わないでしょ。」
美鈴は法学部に進んでいた。目指すは新進気鋭の弁護士。裁判官をやっている父親の影響で、法曹の世界に入ろうと思うのは自然だった。
「あ、あんた、そんな恰好で……!」
「いいのっ!行ってきます。」
飛び切りの笑顔で母親に言い、トーストを口にくわえて飛び出した。まるで、漫画のひとコマだな、と自分に言うが、興奮が収まらない。
「じゃ、行ってくるわね。」
国分藍子、ニ十歳五か月。旧姓・小金井。進学した音楽大学で出会った一歳年上の先輩と学生結婚し、子供に恵まれた。お互い中流家庭で学生結婚と言う、貧乏街道をまっしぐらで進んでいたため、籍を入れただけだ。
「決して酒は飲むなよ。一人の身体じゃないのだから。」
「分かってるわよ。びっくりするかな、みんな。」
この日を楽しみにしていた藍子は、友人たちに自分の事情を伝えていない。ちょっとしたサプライズを仕掛けているのだ。
「では。」
「お、おい藍子!」
「……ばっかじゃないの。」
小平ミサ、ニ十歳と半年。本来なら大学二年生なはずのミサが、大学一年生を頑張っているのは決して勉強が好きだからではない。俗にいう留年、というやつである。
「来ないし。」
ミサは誰よりも早く高校に来ていた。五分前行動は社会通念上常識だが、もう二時間は待っている。いくら気の強い人間でも弱気になるだろう。
『もしかして、忘れてる……?』あの日、決めた秘密の約束。
「あ、ミサだ!」「ミサー!」
友人たちは、期待を裏切らない。ミサは、いいことなしの日常を暮らしていた自分の口角が、久々に上がるのが分かった。
「あんたたち、おっそい!私なんて、二時間も待ってたんだから。このカッコで!」
「ミサー、やっぱり君はいつまでも気が早い。」
「やっぱ、学校に集まると言ったらこれだよねぇ。まさか、みんなも制服で来るとは思わなかったな。」
「うっさい美鈴……って、藍子、そのお腹……!」
「結婚したのー。」
「お、教えてくれればいいのに!」「ねぇ?、あたしも言ったんだけど、サプライズしたかったんだって。」
柔らかく笑う藍子。興奮のせいで叫んでばかりいるミサ。それを見て笑っている美鈴。まるで高校時代に戻ったかのようだ。決して約束していたわけではない。久々に会ったメンバーは、皆、制服で集まっていた。意思疎通もバッチリどころか、ここまで合うと流石に怖い。
「で、発起人が来ないわね。」
清瀬旭の姿がない。高校時代の彼女なら、ミサよりも早く来るはずだ。三人できょろきょろとあたりを見ていると、駅の方から中年の女性が、こちらに向かって手を振った。
「もう、みんな元気だった?」
「旭のお母さん!」
二年の年月は意外と長いのか、久々に見た旭の母は、一回り小さくなっていた。
「あの、旭は――」
旭の家は、高校最寄りの駅から一駅だ。旭の母に招かれた三人は、約束を交わした時とは違う涙を流していた。
「美鈴ちゃん、藍子ちゃん、ミサちゃん。あなたたちに会うことを楽しみに闘病していたのだけれどね。一緒にお酒呑むんだーって、もう、本当馬鹿よね。」
旭の顔は、白かった。生気がなかった。しかし、唇は不自然に赤かった。この体は――ぴょんぴょんと跳ねていた旭の身体は、ただの臓器の入れ物になっていた。
「最期、本当に最期よ。あの子、遺言みたいにこう言ったの。」
それを聞いて、旭らしい、と、三人は泣き顔で笑った。旭の母は、涙を堪えきれなかったのか、「さぁ、こちらへ。紅茶でも飲みながら、お話聞かせて?旭の代わりに。」と促した。三人とも、それに続く。ニコリと笑った顔が、高校生にしては童顔の旭とリンクする。
『お母さん、泣かないで。私はどこへ行っても、お母さんたちと、美鈴と、藍子と、ミサの傍にいるから。私たち、運命の赤い糸……ううん、赤いパイプみたいなので繋がっているんだから。』
『ずる休まない』
バタン!
玄関扉が閉まった。静寂が訪れた。
俺は時計を見た。8時10分。
まだ、間に合う。
「じゃあ、今から会社行ってくるけど、今日はちゃんと卒業式出るんだよ? まだ間に合うんだからね」
母親はそう言って家を出た。絶対に来るなと言い含めたから、母親が学校に来ることはないだろう。
今日は俺の、中学の卒業式だった。今から俺がすべきことは、朝飯を食い、顔を洗い、制服に袖を通して、明るい顔で学校へと向かうことだ。
そのために必要なことは、もうほとんどお膳立てしてあった。台所に朝飯は用意してあったし、洗顔は浴室から洗面台に持ってきてあったし、制服はブラシ済みで壁に掛けてあったし、ワイシャツはこたつの中で温めてさえあった。
朝は身体が重かった。それでも起きた。こたつに気をつけながらの朝飯はほとんどのどを通らなかった。それでも食べた。洗面台の水はしびれるほどに冷たかった。それでも洗った。けれど、こたつから取り出したワイシャツはしわだらけだった。
こたつの反対側から飼い犬が逃げ出した。
…ああ。やっぱり無理だ。
俺はワイシャツを投げた。緊張の糸にハサミを入れた。
最後に学校に行ったのは、ちょっと思い出せないぐらい前だった。別にいじめられた訳じゃない。今流行の体罰とかでもない。授業や、クラスメイトや、校則やらのレベルの低さに嫌気が差しただけだ。そこには事件もドラマもなかった。いつしか俺は昼を家で過ごすようになった。
家族が出払うと、家の中はとても静かになった。俺はとりあえずPCを立ち上げた。そしてその起動の画面を見ていた。
今クラスの奴らは、めいめい卒業証書を受け取るころだろうか。そしたら校長の話だろうか。来賓の挨拶だろうか。その他に卒業式って何をしただろう。
今日を逃すと、クラスの奴らに会うことはないだろう。俺は、遠方の私立に合格を決めているけど、そこに行く奴はこの中学にはいない。この気持ちは、名残惜しさじゃない。でも清々しさでもない。切なさじゃない。悲しみじゃない。でも喜びでもない。
PCにはすぐ飽きて、俺はリビングのテレビを点けた。情報バラエティ番組が、聞いたことのある名前を発している。「kiss & keep」。確かメンバーが俺の中学の出身とかいうバンドだ。
画面は、まさにその中学を映し出した。
「…が、出身中学でサプライズライブを行いました」
カメラは体育館の小さなステージを映し、バンドのパフォーマンスを映し、切り替わって歓声を上げる卒業生たちが映した。いや、卒業生たちじゃない。それぞれ固有名詞を持つ、俺のクラスメイトだ。俺はひとりひとりの顔を見て、ひとりひとりの名前を思い浮かべた。
ふと、俺はその群衆の中に、驚くべき人を見つけた。
俺が、いた。
馬鹿な、と思う。しかし、クラスを、出席番号を鑑みれば、やはりその位置に立っているのは、俺だった。俺はあんなところで、いったい何をしているんだろう。
その時だ。不意に玄関のチャイムが鳴った。しまった。これでは家人がいることが筒抜けだ。普段ならこんなに間抜けなことはしなかった。これではまるで、善良な中学生が、慣れないずる休みをしているみたいだ。
外の人物は鍵を使って玄関扉を開いた。廊下を歩いてリビングに近づいてくる。飼い犬は吠えない。誰だ。母親か。どんな顔をしたらいいのだ。
考えている間にリビングのドアが開いた。現れたのは、意外な人物だった。
それは、俺だった。
制服を着て、胸の名札に花を付けていた。奴は誇らしげな顔でにやりと笑い、
「卒業式に行かないのか」
と言った。
俺は無理やりテレビに目を戻した。さっきのニュースはとうに終わっている。でも視線を動かしたくなかった。見るのが怖かった。聞くのが怖かった。
しばらくそうしていると、今度は奴のほうから視界に現れた。奴は制服を脱ぎ、紺のパーカーに着替えていた。そういえば、いつの間にかさっき投げたはずのワイシャツが消えていた。紺
「立てよ」
奴は言う。
「いいから立てよ。まだ遅くない」
しつこい。俺には関係ない。
「関係ないだと。大アリだ。リンクしてんだよ。過去は現在と。現在は未来と」
テレビに目を戻した。
「俺は、未来のお前だ」
うるさい。
「お前は今、時の流れから取り残されてんだよ。このままだと多分、一生中3の3学期のままだぜ」
テレビに集中できない。
「アクセスしろよ。外の世界に」
テレビのボリュームを上げる。聞きたくない。
「じゃ、俺は先に行くからな」
テレビのボリュームをさらに上げる。聞きたくない。聞きたくない。
「クラスの奴らと、飯を食いに行ってくる」
テレビのボリュームをさらに上げる。聞きたくない聞きたくない聞きたくない。
「今のお前には信じられないだろうがな。じゃあな」
奴は家を出た。
バタン!
玄関扉が閉まった。静寂が訪れた。
俺は時計を見た。8時10分。
まだ、間に合う。
「伝説」
(話が違うぜ、会長!)
俺はリングの上で、無敵のチャンピオン様にボコられらながら、この場に立っている事を後悔せずにはいられなかった。
無敵のチャンピオン、そう、今俺の目の前に立っている男、人呼んで「M」は、24戦24勝20KOまさに無敵の男だった。
Mってのは、奴の隙の無い冷徹なファイティングスタイルから来ているあだ名だ。
MachineとかMasochistの略って話だが、本人はあんまり興味がないらしく真相ははっきりしない。
「無敗とは言え40過ぎのロートルだ、お前が伝説に終止符を打て」
なーんて調子のいい言葉にノセられた俺も軽率だったが、なんだってこんな化け物相手にボクシングなんてやらなきゃいけないんだ。
今にして思えば、「40過ぎで無敗のチャンピオン」という点をもっと真剣に考慮すべきだった。パンチの重さはそうでもないし、スピードだって俺と互角だ。しかし、俺と奴では決定的に何かが違う。闘志、いやそんな生やさしいもんじゃねえ、殺意とでも言うべき恐るべき意志の塊が俺の目の前に立ちはだかる獣の正体だ。
こいつはmachineでもマゾでもねえ、正真正銘のMurderだ。
とにかく、俺は奴のパンチをかわすのが精一杯。1Rを何とか凌いだものの、俺は絶望と疲労で折れる寸前だった。俺はうがい水を吐き出したついでに、恥も外聞もなく弱音も吐きだした。
「俺ダメっす、もう無理っす、勝てる気がしないっす!」
顔を茹で蛸のように紅潮した会長は、俺を必死に奮い立たせようとする。
「何を言うか!試合前に教えた言葉を思い出せ!」
(え???となんだっけ?)
頭が痺れて思い出せない。なんだっけか?
カン、と乾いたゴングの音が無情に響く。
「あの、えっと、会長?」
「しっかりしろ!いいか、アクセスだ!アクセス!」
ああ、そうそうアクセスだった。
「セコンドアウト!」
レフリーから厳しいお言葉が飛ぶや否や、さっとリング下へ飛び降りる会長。
そうそう、苦しいときの秘密の呪文、ア・ク・セ・ス。
あせらず、
くじけず、
せいかくに、
す・・・・・・え?え?マジ思い出せないんだけど?
狼狽える俺に容赦なく襲いかかる奴の拳。
右右左、右右左とジャブが続き、ガードの上からおかまい無しに渾身の左フック!
ガードした腕がビリビリと痺れる。
(痛ってえ!いやいやいやいや、落ち着け俺!)
尚も襲いかかるチャンピオン、右右左とジャブを繰り出してくる。
必死で逃げ回りながら俺は呪文を唱え続ける。
あせらず、・・・うん
くじけず、・・・うん、まだいける
せいかくに、・・・うん、まあなんとか
す・・・・・・・・・・・・すすすすすすすすすす!くっそー!!
すこやかに! 違う!
すみやかに! 惜しい!
すっぱい! ああそうさ、この試合のことさ? じゃなくてっ!
すーすーすっ! それはお袋の口癖だ!
すれちがい! DSやってる場合じゃねえ!
すばらしい! 何が?日曜?
すばる! さらば?♪違うっ!
焦燥する俺をあざ笑うかのように奴の攻勢は続く。そして防戦一方の俺。
うおお、必死でガードするが段々腕が痺れてくる
ひるんだ俺の一瞬の隙を見逃さず、奴のボディーブローが土手っ腹に入った。
うげっ、と俺が苦痛に顔を歪めるのをチラ見して、とどめとばかりに襲いかかる奴の左フック!俺も上体をスウェーして必死にかわそうとするが、間に合わない。
やられる!
そう観念した瞬間、力の抜けた俺が体制を崩すと、俺の鼻先を掠めて奴の左フックが空を斬った。一方、本能的に右足を踏ん張って転倒を免れた俺の右腕はバランスを取る為に大きく空中を泳いでいた。そしてそのまま大きく弧を描いて、奴の左顎へ吸い込まれる俺の右拳。
感触はなかった。空振りしたのかと思ったくらいだったが、奴はバレリーナのようにクルクルと3回転した後、リングに沈んだ。
レフリーがひどくゆっくり10を数える間は何が起きているのかわからず、夢でもみているような心持ちだったが、ガンガンガンと鳴り響くゴングの音と歓声と悲鳴と怒号と会長の暑苦しい泣き顔が俺の頭の中で一斉にリンクした時、俺はひょっとして奴の伝説にトドメを刺してしまったのでは無いか?という新たな疑問に取り憑かれた。
(了)
sokyoさんに、何かひとつ、印象深いフレーズがあればBAでした。
京さんに、もうすこし起伏というか盛り上がりというか山場があればBAでした。
コブマリさんにサプライズとか伏線やトリックがあればBAでした。
GM91さんがもっと突っ走ってればBAでした。
というわけで未だ決めきれてません。
つみほろぼしにまたかきつばたやります。