おっしゃるとおりです。同感です。
勇気と呼ぶか蛮勇とか度胸とよぶかは経緯や内容によりますが、混用されていたり意図的に言い換えられていたりすることはよくありますね。
あと一歩を踏み出すのに、なにかラベルが必要。
それを、勇気という言葉にして、楽に一歩を踏み出させる。
「覚悟」というと、できてない。
「責任」というと、後がいや。
「度胸」というと、持ってない。
「狂気」というと、敬遠する。
「元気」というと、勘違い。
「頑張れ」では、自分が動かない。
奮い立たせるには、ちょうどいいラベルなのだ。
「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」
が、その内容そのものであろうと推測されるのだが。
質問文より
自分・他人を傷つけたり・殺したり、「利己の為」騙したり、誤りを教えたりする事は・・・かなり多くの事が「勇気」と言う言葉で美化され誤魔化されて、認識・誤用されている
とありますので、「『勇気』とは倫理や道徳として正しいことに用いられるものである」とお考えであるようにお見受けしました。
しかし、それは本当でしょうか。悪徳のために自分の意志を貫くことについて「勇気」と表現してはいけない、という道理はないように思います。正義の味方しか「勇気」を奮ってはいけないということもないでしょうし、強い意志の元に行われる悪もあるでしょう。
wikipediaによりますと、
恐るべきものと恐るべからざるものとを識別することなり
勇気 - Wikipedia
とあります。現代風に言うと「リスクアセスメント」でしょうか。ここから「勇気」とは、善悪と関わりのない認知行動、であると解釈できます。
さらに言えば、「リスクアセスメント」が正しい評価かそうでないか、という問題も含んでいます。リスクを過小評価してしまうといわゆるリスクテイキングな「蛮勇」になるということです。
まとめますと「勇気」には大きく4つのタイプがあると考えられます。
このどれもが「勇気」であるという認識がまず必要なのではないでしょうか。