人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

「勇気」と言われている本質は?
「勇気を出して」とか、「勇気ある行動」とか言われるかなりは、本当は「狂気」や「度胸」のいいゴマカシではないでしょうか。
苦しんでいる人や、困っている人に援助の手を差し伸べること、誤った事を正す、正しいと思うことを実行したり、教えたり事は「勇気」だと思いますが、自分・他人を傷つけたり・殺したり、「利己の為」騙したり、誤りを教えたりする事は・・・かなり多くの事が「勇気」と言う言葉で美化され誤魔化されて、認識・誤用されているとおもいますが、どうでしょう。

●質問者: 多食斎友好=世田介
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 12/12件

▽最新の回答へ

1 ● なごやん63
●10ポイント

おっしゃるとおりです。同感です。


2 ● GM91
●15ポイント

勇気と呼ぶか蛮勇とか度胸とよぶかは経緯や内容によりますが、混用されていたり意図的に言い換えられていたりすることはよくありますね。


3 ● たけじん
●25ポイント

あと一歩を踏み出すのに、なにかラベルが必要。
それを、勇気という言葉にして、楽に一歩を踏み出させる。
「覚悟」というと、できてない。
「責任」というと、後がいや。
「度胸」というと、持ってない。
「狂気」というと、敬遠する。
「元気」というと、勘違い。
「頑張れ」では、自分が動かない。
奮い立たせるには、ちょうどいいラベルなのだ。

「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」
が、その内容そのものであろうと推測されるのだが。


4 ● tak
●15ポイント

芥川羅生門からモラルとエゴイズムの矛盾を見る(3)


「下人の心には、ある勇気が生まれて来た。」これは何の勇気でしたか?



太宰メソッドと同じですね


5 ● Lhankor_Mhy
●50ポイント

質問文より

自分・他人を傷つけたり・殺したり、「利己の為」騙したり、誤りを教えたりする事は・・・かなり多くの事が「勇気」と言う言葉で美化され誤魔化されて、認識・誤用されている

とありますので、「『勇気』とは倫理や道徳として正しいことに用いられるものである」とお考えであるようにお見受けしました。

しかし、それは本当でしょうか。悪徳のために自分の意志を貫くことについて「勇気」と表現してはいけない、という道理はないように思います。正義の味方しか「勇気」を奮ってはいけないということもないでしょうし、強い意志の元に行われる悪もあるでしょう。

wikipediaによりますと、

恐るべきものと恐るべからざるものとを識別することなり

勇気 - Wikipedia

とあります。現代風に言うと「リスクアセスメント」でしょうか。ここから「勇気」とは、善悪と関わりのない認知行動、であると解釈できます。
さらに言えば、「リスクアセスメント」が正しい評価かそうでないか、という問題も含んでいます。リスクを過小評価してしまうといわゆるリスクテイキングな「蛮勇」になるということです。

まとめますと「勇気」には大きく4つのタイプがあると考えられます。

このどれもが「勇気」であるという認識がまず必要なのではないでしょうか。


多食斎友好=世田介さんのコメント
{「『勇気』とは倫理や道徳として正しいことに用いられるものである」とお考えであるようにお見受けしました。} ===> 『勇気』≒『正義・正しい事(行動・発言等』とも思っていません。

Lhankor_Mhyさんのコメント
そうですか。そうであるなら、殺人などのために勇気を出すというのも、特に誤用ではないと思われますので、別に問題ないのではないでしょうか。

1-5件表示/13件
4.前の5件|次5件6.
関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ