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●質問者: 多食斎友好=世田介
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 12/12件

▽最新の回答へ

10 ● Sampo
●25ポイント

質問者様のお考えは大いにわかりますが、私は少し違う考えを持っています。

ある行動の動機を「勇気」と呼ぶかどうかは、あとから決まるのではないかと。
これ、ある継続的な行動を「努力」と呼ぶかどうかがあとから決まるのと似ていると思います。

溺れている人を助けに飛び込んだ人は、きっとそのとき緊急事態が頭が真っ白だったと思います。気付いたら助けてたみたいな。あとから、勇気ある行動だったと表彰されるんです。

頭が真っ白でなく、決断の末にやったことでも、結果次第で「勇気」になったり「勇み足」とされたりしますよね。

決断を要する行為で、かつ結果か目的が賞賛に値するものだったら、賞賛する立場の人がそれを勇気と呼ぶ、そんな感じの解釈です。


11 ● ※AUDIOOFF※
●10ポイント

簡単な回答ですが、同感です。


12 ● я
●10ポイント

まさにあなたの言うとおりです。

むやみに危険をおかしたりするのは勇気ではありません。

これ、武士道にもあるんですよね


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