質問者様のお考えは大いにわかりますが、私は少し違う考えを持っています。
ある行動の動機を「勇気」と呼ぶかどうかは、あとから決まるのではないかと。
これ、ある継続的な行動を「努力」と呼ぶかどうかがあとから決まるのと似ていると思います。
溺れている人を助けに飛び込んだ人は、きっとそのとき緊急事態が頭が真っ白だったと思います。気付いたら助けてたみたいな。あとから、勇気ある行動だったと表彰されるんです。
頭が真っ白でなく、決断の末にやったことでも、結果次第で「勇気」になったり「勇み足」とされたりしますよね。
決断を要する行為で、かつ結果か目的が賞賛に値するものだったら、賞賛する立場の人がそれを勇気と呼ぶ、そんな感じの解釈です。
簡単な回答ですが、同感です。
まさにあなたの言うとおりです。
むやみに危険をおかしたりするのは勇気ではありません。
これ、武士道にもあるんですよね