具体的な理由の一つは貴方の匿名状態を守るため。
ルールは、あなたや私の心の中にはありますが、世界にはありません。
ルールの無い世界で苦労したご先祖様達が苦労して作り上げた常識の集合体がルールです。
そして、その中でも特に重要だと時の政権が認めたものが「法律」となります。
学校のルールや会社のルールも集団内の事情によって生まれます。
あなたが所属する社会集団の数だけ少しずつ違ったルールがあります。
上手にさばかないと苦労します。
他人が居るから。
この世に自分1人ならルールなど不要。
愛です。
もっとも原始的なことを言えば、ルールの源は常識と慣習です。
仲間のみんながどう考えるか、どう行動するかということが、つもりにつもって、「こうした方がみんな困らないよね」というのがルールとして残っていくのだと思います。
じゃあ常識や慣習はどこからやってくるかというと、他人から伝えられたり学んだりして仲間に共有された知識、強いていうなら文化からやってくるのだと思います。
自分の振る舞いと仲間のルールが一致していないということは、何か他人から伝わってないか、(気に入らないとか)何かの理由で学んでないか、他人と自分だけの知識に過ぎなくて仲間に共有されてないかのどれかということになります。
なお、何かの目的に向かって、連携を密にして役割分担してみんながルールに従うと仲間から集団になります。
それで、いったん集団ができると、個人に対して、横からのコミュニケーションや上からの権威によって「ルールを守らないと目的が果たせないから守れ、さもなくば出て行け」という圧力がかかるので、なおさら守らなければならなくなります。
こういう、ルールの後からやってくる「ルールを守らせるはたらき」があることも考慮しなければなりません。
ルールは、文化・常識・慣習の結果だから「ある」し、集団の前提だから「個人に守らせる圧力がはたらく」ということですね。
だから、ルールをなくすには、文化・常識・慣習を捨てて集団を無視していけばいいことになります。多分そこにいる仲間と話が合わなくなるし、そこにいるのが集団だったら「出て行け、さもないと追い出すぞ」ということになると思うので、多分損をしたり生活できなくなったりするけど。