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第二次世界大戦では、どこの国が侵略して、どこの国が侵略されたとされているのでしょうか。
過去の戦争では、アメリカもヨーロッパもその他の国も戦争をしていますが、それは、自衛なのか侵略なのか、植民地政策なのか、
歴史では、大きな国は植民地政策をおこなっていたと思うのですが、その当時はそれは国として、国民として普通に捉えていたということなのでしょうか。どのあたりまで侵略や植民地などをおこなうことを良しとしていたのでしょうか。

●質問者: surippa20
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● だわかき
●34ポイント

植民地政策と侵略戦争は分けて考える必要があります。
植民地政策は侵略戦争によって征服された後に行われることがあるほか、経済的に植民地化する場合がある(例:イギリスによるインド・アメリカの植民地政策)からです。

第二次世界大戦でどこの国が侵略したかといえば、それ以前からの版図拡大を意図したドイツ、イタリア、日本ということになります。

植民地政策は言語・文化・教育を宗主国に合わせるところから始まるため、その国にとって良かったのかどうかは判断できません。(「もしその国が植民地化されていなかったら」という歴史的過程が無意味であるから)
アフリカやオセアニア、南米を植民地化したヨーロッパ宗主国は、近代化という恩恵を後進地域にもたらした善行であると考えていますが、原住民の歴史・文化が失われたのもの事実です。

国連総会で1960年に植民地独立付与宣言が決議されたことに伴い、現代においては植民地支配は否定的に考えられるようになりました。
http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/Jc1dgiccp.htm


surippa20さんのコメント
ご回答ありがとうございました。 1960年より以前は、世界的に植民地政策は世間ではそれは普通にあるものとして捉えていたということなのでしょうか。 なぜ、ドイツ、イタリア、日本の国は戦争を始めたのでしょうか。

2 ● miharaseihyou
●33ポイント

当時の情勢からすれば、あまり意味のない分類です。

アメリカの植民地だったので一番有名なのはフィリピンです。
経済的な搾取はされていたのですが、かと言って独立可能ではなかった。
それだけの経済力や技術力がなかった。
逆に言えば日本はそれだけ頑張っていたんです。
結局、現在でも地元資本が育たず、貧しいままに、他国への出稼ぎに頼る経済状態が続いている。
巡視船一つ買うにも予算が苦しく、中国の専横に後退を余儀なくされている。

日本が侵略したとされる満州も、当時は実質的な植民地状態つまり欧米列強によって侵略されていた状態だった。
各国の権益が入り乱れる状態でした。
もちろん、民衆はいずれにしても搾取され続ける状態だった。

朝鮮半島は併合した当時は日清戦争の後ですが、併合以前は清の植民地だったことは明らかで、住民の生活は日本に併合された後の方が向上しました。
おためごかしのような王朝はありましたが、清からの使者を土下座して迎えるような皇帝でした。
当時建設された建造物は今でも韓国の重要なインフラの一部として活用されている。
そういったこともあり、韓国にはヒステリーのような劣等感が根強いと思えます。
情報統制や排日教育も、アイデンティティーの模索から最悪の儒教思想に行き着いた結果だと推測できる。
本当に儒教を理解しているなら祖先を殺し続けた中国を敵視するべきなんですけどね。


3 ● Baku7770
●33ポイント

橋下や安倍を擁護する気ではないのですが、侵略と植民地は、やはり定義がなされていないというか定義するべき問題だと考えます。

簡単に回答を先に済ませておくと、侵略したのは日独伊の三国で、されたのはオーストリアと中国、フィリピン、インドなどと、それを植民地としていた米英仏などとされています。インドとかフィリピンは日本のおかげで独立できたと考えてくれていますけれど。

次にだわかきさんへのコメントへの意見を表明をすれば、植民地時代の終焉を1960年代に求めるのは難しいと考えます。例えば1954年にベトナムでフランス軍が降伏していますが、じゃぁ何故その後の南北問題でアメリカが介入し続けたのかが植民地時代が終焉したとすれば、説明が難しくなります。私は植民地時代はまだ続いているし、独立運動が存続している限りなくならないと考えます。チベットはどう見ても中国の植民地のままですからね。
また、パラオ共和国がアメリカの信託統治領から独立したのは1994年でしたからね。

明治維新の頃までの欧米が執った植民地政策と日本が朝鮮半島で行った植民地政策は決定的に異なります。
前者は狭い国土や気候条件を理由として、相手国の領土と労働力の搾取が目的でした。日本の場合、領土と国民の拡大が目的だったと考えるべきなんです。そうでないと、日清戦争以後朝鮮半島に莫大な投資を行った理由が説明できません。日本は朝鮮半島にインフラを構築しましたし、学校も建設していました。
で、現在は政治的な『植民地時代』が続いていると考えます。朝鮮半島やイラクがそうでしょう。朝鮮半島は共産主義と自由主義との防波堤の役割を担わされていますし、イラクを含めて親米国家は反米政権を立ち上げようとすれば介入されますからね。

第二次世界大戦に突入した理由は国々で異なりますが、独伊は確実にヴェルサイユ体制への反発です。ドイツは領土の一部をポーランドなどに併合されましたし、イタリアは失われたイタリアを回復させることを条件に、第一次世界大戦では連合国側に参戦しましたが、結局一部が失われたままでしたからね。
日本はソ連からの朝鮮への防共として満州国を建設しています。中国にすればそれは中国を分割したんだからとなって、満州事変へと繋がっていきます。

今の尖閣や竹島の問題と結局同じなんです。双方で自国の領土だと主張しているから、一方は侵略戦争だと明言し、双方で自衛のための戦争だと主張します。

最後に回答をまとめますと、
1.侵略にしろ、植民地にしろ明確に定義する必要がある。
2.そうでない限り、全ての戦争を侵略戦争と考えるべきである
例えば、イラク戦争も大量破壊兵器の放棄という政治的植民地化を狙ったものと言えます。

ここまでは現在。歴史的には、
3.過去において圧倒的な武力を背景に強国が弱小国を占領し、資源と労働力の搾取を自国の論理のみに基づいて、行うことは悪とは考えられていなかった。
4.植民地間の境界は強国間の調整のみで行われ、それが現在も続いていて、内乱や独立運動の原因となっている。
といったところでしょう。

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