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吉川英治著 新潮社文庫 『三国志』第一巻 76ページに記述されている『曠野を野彦して渡るような大喝が』の『野彦』とはどのような意味を表しているのでしょうか? 会社の同僚の米国人に聞かれ回答に困っています。どなたかお教え下さい。
なお、この質問を先週させていただきましたが、内容に記載ミスがあったため、再掲載させていただきます。

●質問者: kaihime_san
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 書籍・音楽・映画
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

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1 ● なぽりん

山彦(ヤマビコ、英語でエコー)の野原バージョンではないでしょうか。残響がわんわん聞こえるような大声を、広野で出したのだから、ヤマビコではなくノビコと呼んだわけですね。あまり一般的な用語ではなく、ゲームエフェクト的な創作だとおもいます。


kaihime_sanさんのコメント
早速ご返事いただきありがとうございました。

2 ● Yo
ベストアンサー

吉川英治は「野彦」(のびこ)という言葉を三国志以外の小説でも使用しています。

宮本武蔵・水の巻(第2巻)吉川英治著(青空文庫)

宝蔵院初代の槍法をうけて、隠れもない達人といわれる二代胤舜(いんしゅん)は、
「よしッ、やれっ」
その時、すさまじい声をもって、さっきから静観の槍先を横たえたまま、撓ため切っていた十数名の門下の坊主たちへ、号令したのである。
ぴゅうーっと、白い光はその途端に、蜂を放ったように八方へ走った。坊主あたまというものには、一種特別な剛毅と野蛮性がある。
くだ槍、片鎌、ささほ、十文字、おのおのがつかい馴れた一槍を横たえて、そのカンカチ頭とともに、血に飢えて躍ったのだ。
――ありゃあっ。
――えおうっ。
野彦(のびこ)を揚げて、もうその槍先の幾つかは血を塗っている。きょうこそまたとない、実地の稽古日のように。
――武蔵は、咄嗟とっさに、
(新手!)
と感じて飛び退しさっていた。
(見事に死のう!)
もう疲れて霞んでいる脳裏でふとそう考え、血糊ちのりでねばる刀の柄つかを両手でぎゅっと持ったまま、汗と血でふさがれた眼膜がんまくをじっと瞠みはっていたが、彼に向って来る槍は一つもなかった。
「……や?」
どう考えてもあり得ない光景が展開されていた。茫然と、彼は、その不可思議な事実を見まわしてしまった。


奈良の宝蔵院で宝蔵院流槍術の高弟阿含(あごん)を倒した宮本武蔵は、追いかけてきた宝蔵院の僧兵と決闘をするシーンです。

ここでの「野彦」と云うのは、文章から察するに、「大地に轟く様な大声」という解釈ができると思います。


kaihime_sanさんのコメント
ご丁寧なご返信をいただきありがとうございました。

質問者から

早速、教えていただきありがとうございました。同僚の米国人に説明しましたところ納得するとともに、親切な方がいらっしゃることに驚いていました。御礼申しあげます。


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