町名は、鎌倉時代に現在の中御所二丁目にあった信濃国国衙(後庁-御庁)の守護所「中御所(なかのごしょ)」に由来する。この中御所(なかのごしょ)の名は、1197年(建久2年)に源頼朝が善光寺参詣の際、領主漆田氏が館を造営して頼朝を迎えたことに起因するという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%BE%A1%E6%89%80
中御所守護館のあった中御所の地名の由来でありますが、先述しました「国衙に対して中御所といったこと」と(善光寺再建の大スポンサーである)「源頼朝が建久8年(1197年)に善光寺に参詣した際にこの辺りの有力者である漆田氏の館に泊まったこと」の二つがあります。
http://shinano.seesaa.net/article/46132995.html
御所のいわれがわかり、有難うございました。「中御所」の「中」とはどういう意味かな、とも、思っていましたが、第二庁舎ということで、この点も納得しました。
匿名回答者1号様の御紹介の頁には、第一庁舎が豊御所、第二庁舎が中御所と呼ばれたというような記載でした。たぶん、豊というのは、何かの地名かな、と思います。いかがでしょうか。
(補足)第一庁舎と第二庁舎の二つがあるのでしたら、「下御所」と言わずに、「中御所」と呼んだのもなぜかなと思ってしまいました。