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江戸幕府は、公家にも領地を与えたという形を感じます(下記の「花押を署名した判物」)。すると、「所領の安堵とは、徳川家からの御恩を意味」している、よって反対給付として徳川家への奉公が必要である、つまり、公家も将軍家に奉公する立場、つまり、徳川の家来である。
とても違和感あるのですが、どこかおかしいでしょうか。

下記は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%8D%B0%E7%8A%B6 の抜粋です。
家康以来、10万石もしくは四位以上の大名・摂関家及び清華家・大臣家・従一位の公家に対する知行安堵は花押を署記した判物、10万石以下の武士の知行安堵や寺社領の寄進・安堵は朱印状、将軍の私的な書状や軽微な事項では黒印状によって発給された。ただし、初期の頃は例外的な発給も多くあった。後に旗本には朱印状の交付はされなくなり、小規模寺社に対する寄進などには黒印状が用いられるなどの変遷もあり、一定の格式が定まるのは徳川家綱の時代とされている。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号
ベストアンサー

これらの家系・家柄を指して「武家」もしくは「武勇の家」・「武門」の呼称が生じたとされている。この呼称は、武力・武勇をもって朝家(天皇)に奉仕する家系という意味合いを含んでいた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6

征夷大将軍は天皇の勅令によって任命された
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D

天皇は非力な存在で支配者ではないにもかかわらず、征夷大将軍を含めたいかなる支配者よりも上位にあった。征夷大将軍にとって、天皇は権力の正統性を付与する者として重要であった[出 15]。権力を握った人物は望んだ官職や称号を手に入れたものだったが、天皇の任命なしに手に入る訳ではなかった。天皇は朝廷の官人の上奏にもとづいて、手続きを延期できた。天皇にその地位を任じられ、またその地位に相応しい位階が授与されない限り、征夷大将軍として扱われることはなかったのである[出 15]。

まとめると天皇や公家は武家、幕府を公認し、見返りに幕府は領地を安堵するという形式上は主人と用心棒のような関係です。


匿名質問者さんのコメント
ありがとうございます。用心棒とはわかりやすいです。 厳密には、天皇に対しては、「領知判物・領知朱印状・領知目録」のたぐいは出していない、という理解でよろしいでしょうか。 それ以下、つまり、宮様(なんと宮様:伏見宮とか)、そして、摂家、清華家、、、、には、出して、土地安堵している、ということで・・・。 何度もすみません。

匿名回答1号さんのコメント
よろしい。

匿名質問者さんのコメント
有難うございました。いくらなんでも、ミカド(天皇)には、さすがに出していない。
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