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奈良県(大和国)の十津川村は、代官所支配の天領(将軍直轄地)のようですが、支配層である郷士は、徳川将軍から、土地の安堵状を貰っていたのか(将軍代替りの都度、領地朱印状に類するもの)。WIKIを見つつ纏めると、この地は、鎌倉幕府とも無関係(御家人や地頭がいたようでもなく、守護の介入もなく)、室町期も、吉野朝に尽くしております(後南朝消滅後は??です)。室町時代も守護(興福寺)の支配下に入ってない。太閤検地時にも年貢が赦免された(どうやって?)。大坂の役で、徳川方となり江戸時代は五條代官所の下で天領となり免租され、住民は郷士と名乗ることを許された。

身分差を考えると、たかが郷士が、将軍から朱印状を直接もらうわけはないですが、しかし、将軍からの土地安堵はあったのかな、と思いました。
また、「郷士」の性格を考えると、それは耕作民のようなもので、領主とはいえず、「土地安堵(御恩と奉公の関係)」という表現にはなじまないのであれば、その点、ご指摘くださると嬉しいです(耕作権の安堵と年貢の関係ですね。しかも、年貢はゼロ。)。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
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