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namihei0 ベストアンサー |
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E4%BC%9A%E8%AD%B0_%281922%E5%B9%B4%29
ヴェルサイユ条約の元、国際連盟が作られましたが、国際連盟の賛助を得ずにアメリカ合衆国大統領ウォレン・ハーディングの提唱でワシントンD.C.で開かれた国際軍縮会議、ワシントン会議が開催されました。太平洋と東アジアに権益がある日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9カ国が参加、ソビエト連邦は会議に招かれなかった。アメリカ合衆国が主催した初の国際会議であり、また史上初の軍縮会議となりました。
このワシントン会議を中心に形成されたアジア太平洋地域の戦後秩序をワシントン体制と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E3%82%AB%E5%9B%BD%E6%9D%A1%E7%B4%84
この会議の中で、第一次世界大戦とロシア革命によってアジア・太平洋地域の勢力関係に変化が生じたところから、大戦の戦勝国であるアメリカ合衆国・イギリス・フランス・大日本帝国の4か国で協議の場が設けられました。
四カ国条約により、各国が太平洋方面にもつ属地や領土・権益の相互尊重、および、それに起因する国際問題の平和的処理の仕方について定められました。この条約により、1902年以来約20年間にわたって日本の大陸政策を支えてきた日英同盟が廃棄されました。
また軍事面では別途ワシントン海軍軍縮条約が結ばれました。
この結果、日英間では実際のところ日英同盟の継続は望まれていたものの、日英に挟まれた米国が太平洋・大西洋の両面に仮想敵をかかえる事態を恐れて、
・日英同盟の終了
・紛争解決手段が記載されているだけで同盟関係の全くない四か国条約に置き換え
をはかり成功したことで、日英関係は白紙状態になったといえます。