人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

なぜ、基本的人権で生存権があるのに、資本主義的に生産力が無い人間は生きる価値がないと考える人が多くなったのでしょう?

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:学習・教育 経済・金融・保険
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

カネカネカネ、そればかりだからです。


匿名質問者さんのコメント
そのとおりです。回答ありがうございます

2 ● 匿名回答2号
ベストアンサー

その疑問は逆じゃないですかね。放っといたら勝手な基準で「こいつは生きる価値がない」と考えてしまう人が多いからこそ、基本的人権という概念を発明して、憲法にまで掲げる必要があったと。多くの人が自然に「誰しも生きる権利がある」と思うなら、わざわざ概念を作る必要はなかったわけです。

近年になって急に「あいつは生きる価値がない」と考える人が増えたわけではないと思います。もちろん時代によってそう思われる人の傾向というのは変わってきたでしょう。かつては身分だったり、「身内/よそ者」で分けたりしてきたのが、資本主義の社会では「稼げる金」という基準で分けられるように変化してきたということかと。

どういう基準にせよ、社会が豊かであれば(あるいは「これから豊かになる」という期待が大きければ)余裕が出来ておおらかになる人が増えるでしょうし、社会が貧しくなる、下り坂になるとみんなが感じると、他人が自分の稼ぎを奪ってるように見えたら排斥したくなります。「こういう人間は生きる価値がない」と考える人が多くなるとすれば、そのような背景があると考えられます。


匿名質問者さんのコメント
なるほど。たしかに基本的人権がなかったら奴隷制度が復活しそうですね。 回答ありがとうございました

3 ● 匿名回答3号

「奴らは俺たちが払った税金等で生きている。なんで、税金等を払ってない奴の面倒を俺たちが見なきゃいけないんだ?」というひとことに尽きるのでは。

自分は障害年金を受給しています。
2chで、生活保護や年金受給者へのバッシングレスがあると、やはり心が痛みます。

それでも自分は生きていたい。
病気を抱えて、一般的な社会人のような生き方ができなくても、生をまっとうしたいという気持ちは否定出来ません。
福祉サービスに支えられて当たり前とは思いません。感謝の気持ちは常にあります。

ごめんなさい。でも、生きていたいのです。

id:Kaoru_A


匿名質問者さんのコメント
「奴らは俺たちが払った税金等で生きている。なんで、税金等を払ってない奴の面倒を俺たちが見なきゃいけないんだ?」という考え方から、日本ではノブレス・オブリージュは誕生しそうにないですね。欧米だとお金持ちが慈善事業をするんですが、日本ではあまりしているというのは聞いたことがありません。都合のいいことばかり、「海外ではこうなっている」と言ってますね。 見たり聞いたりした感じでは働けない状態であっても、見た目が働けそうであれば、働くことを要求されますね。福祉の人間さえ精神的に限界だと言っても、働き続けることを要求されます。 生存権があるのだから、あなたは生きていいのです。暴走してしまった資本主義の価値観や普通の社会人の社会観に流されているだけです。そのような人たちは生存権があることすら忘れている。日本では死刑制度以外で合法的に命を奪うことはできませんし、福祉の助けがなければ生きていけないのであれば、福祉制度を作るための法律そのものが存在しないでしょう。 受給していい、受給して生きるために制度があります。障害をもっているのですから、一般的な人間と同じようには生きられないです。それはあなたが悪いのではなく、不寛容な社会が悪いのです。 生きることは、悪いことではないです。人が死んで涙を流さなくなったら、その人はどこかおかしいのでしょう。生きていて、大丈夫です
関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ