http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6
このクイズショウという実話ベースの映画は1950年代が舞台ですから、少なくとも60年前にはこの風潮があったと言えます。
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たけじん ベストアンサー |
人の手を介した映像と、個人が作成した原稿を読み上げているのであるから、必ず誰かの主観というフィルターがかかっています。ニュースでも、バラエティでもすべて同じ。
自分の目で見たものでさえ、錯覚と記憶時のデータ欠損と補間によって、起きた事象とは異なるはず。
放送から得られる情報は、一面を写した物でしかないと認識して、様々な情報を統合すべきです。
新聞は、記者とデスクの主観を経て記事になります。しかも、記者の立ち位置はすべてを見渡せるわけではありません。
テレビでも、カメラの視点と、映されている事象からの視点は全然別と考えなければなりません。
街角でタレントの人気投票のインタビューをしていても、統計的には意味がほとんどありません。
サンプル数が少ない、完全ランダムではない、放送可能な人物に限る、全ての人に聞いてない。もともと場所限定、時間限定ですから、インタビュー順に流す必要もありません。実測値に沿った結果を見せる「義務」もありません。(Aさんに10票、Bさんに20票入ったとしても、顔出し×の人がBさんに集中して15人だったら、放送ではAさんが勝ちです)
編集と演出とねつ造とやらせ。全て同じことです。
国会論戦の最後の一言をカットしただけでも、ニュアンスも意味も違う場合があります。
「そこだけ抜き出されても」という言葉が象徴するように、全容を視聴者に伝えるのは無理なのでしょう。
編集作業が入る以上、どの番組でも「真実と異なる」ことを前提に、「物事の一面」を示しているだけだと思って、異なるソースの情報を求め、自分の中でその情報を整理するしかありません。それが、事実と異なっている可能性は大きいのですが。