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いつから民放テレビ局はバラエティ番組はウソでもヤラセでも捏造してもOKという風潮になったのでしょう?

民放テレビ局のテレビ関係者はバラエティ番組なんだから信じちゃダメだよ。あれ全部、構成作家が書いてる演出だから。と笑っていいます。そして、ニュース番組までバラエティ番組化しています。

ニュースまで報道まで嘘か本当か視聴者が判断しないといけない。

この状況はダメでしょ。視聴者がニュース番組が本当のことでバラエティ番組は嘘のことって子供には判断出来ない。大人ですらほこたてに騙されたわけです。

あの最強のドリル対最強の剛板対決も茶番だったわけです。バラエティ番組の茶番劇に熱中させられた視聴者の方が悪いというのがフジテレビ内部関係者の思いです。今ですら何が悪いのか分かってない。順番を入れ替えて盛り上がるように編集してなにが悪い。ニュース番組の街角アンケートの結果発表だって順番を入れ替えて盛り上るようにしてる。

こんなウソ番組を平気で流す原因になった番組はなんでしょう?この風潮はいつから始まったのでしょう?

●質問者: cawbridge2013
●カテゴリ:芸能・タレント
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● Sampo

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6
このクイズショウという実話ベースの映画は1950年代が舞台ですから、少なくとも60年前にはこの風潮があったと言えます。


2 ● たけじん
ベストアンサー

人の手を介した映像と、個人が作成した原稿を読み上げているのであるから、必ず誰かの主観というフィルターがかかっています。ニュースでも、バラエティでもすべて同じ。
自分の目で見たものでさえ、錯覚と記憶時のデータ欠損と補間によって、起きた事象とは異なるはず。
放送から得られる情報は、一面を写した物でしかないと認識して、様々な情報を統合すべきです。

新聞は、記者とデスクの主観を経て記事になります。しかも、記者の立ち位置はすべてを見渡せるわけではありません。
テレビでも、カメラの視点と、映されている事象からの視点は全然別と考えなければなりません。

街角でタレントの人気投票のインタビューをしていても、統計的には意味がほとんどありません。
サンプル数が少ない、完全ランダムではない、放送可能な人物に限る、全ての人に聞いてない。もともと場所限定、時間限定ですから、インタビュー順に流す必要もありません。実測値に沿った結果を見せる「義務」もありません。(Aさんに10票、Bさんに20票入ったとしても、顔出し×の人がBさんに集中して15人だったら、放送ではAさんが勝ちです)

編集と演出とねつ造とやらせ。全て同じことです。

国会論戦の最後の一言をカットしただけでも、ニュアンスも意味も違う場合があります。
「そこだけ抜き出されても」という言葉が象徴するように、全容を視聴者に伝えるのは無理なのでしょう。

編集作業が入る以上、どの番組でも「真実と異なる」ことを前提に、「物事の一面」を示しているだけだと思って、異なるソースの情報を求め、自分の中でその情報を整理するしかありません。それが、事実と異なっている可能性は大きいのですが。


たけじんさんのコメント
ドリルと金属の件は、技術者として見る限り、嘘はなさそうですが。

cawbridge2013さんのコメント
回答ありがとうございます。 意味がない統計を視聴者に見せて何の意味があるんでしょうね。
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