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「女性に対する暴力の根絶を訴える」パープルリボンについて
何で女性に暴力を振るっちゃいけないと訴えるのでしょうか?
この言い方が分からない
この言い方だと「女性だから暴力を振るってはいけない」と言う意味になります

これに対して、「無抵抗な人、相手を傷つける意思が無い人、弱い人に対して暴力を振るってはいけない」と言う言い方をすれば
暴力をふるってはいけない理由が、「無抵抗だから、相手を傷つける意思が無いから、弱い人だから」となりますが
そこを態々「女性に対しては」という言い方に言い換えるところが疑問です

もしも「女性だから」が理由の場合はその人が女性だと言う事こそが条件で、弱いかどうか、無抵抗かどうかは関係が無い
この理屈によれば、大人の女性が、普段無抵抗な子供の男の子に対して虐待をしていて、男の子がそれに抵抗する為に何かしたとしても、男の子の方が悪い事になる
だからこの場合どんなに加害されても女性に対しては反抗が許されない、一方男性に対しての暴力はその対象でないので、一方的に加害をする権利が加害者側に与えられる
そう解釈する事もできます




●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:政治・社会 生活
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

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質問者から

「無抵抗な人、相手を傷つける意思が無い人、弱い人に対して暴力を振るってはいけない」そして女性にはそういう立場に立つ人が多いからその対象になりやすいと言うなら納得できます
女性は無抵抗で、相手を傷つける意思が無いのに、暴力を振るうのはいけないと言う言い方
態々「女性は」「女性こそは」と言う言いかえをするのはどうしてでしょうか?
場合によっては「女性は特別だから」と言う意味合いを感じます
こういう主語は「この人は誰だから」「お客だから」「天皇だから」のように人をさす場合と、「弱いから」「無抵抗だから」のように立場をさす場合に分かれます
人をさす場合はその人だったらその人の立場はどうでも良いと言う事になります


1 ● 匿名回答1号

リボン系アクションっていうのは、たいていはアウェアネスが目的なのでは。

世界中で何百万もの女性と女児が、ひどい人権侵害にさらされて暴力を受け、殴打され、レイプされ、手足を切断され、そして命を奪われています。戦場、家庭、町中、学校、職場、あるいは自分たちのコミュニティにおいて、生涯のいずれかの時点で身体的、または性的暴力を受けた経験のある女性は7割にも達しています。全ての妊産婦の4分の1が何らかの被害を受けています。
大抵の場合、加害者は罰を免れています。女性と女児は、処罰されない文化のせいで声を上げることを恐れています。私たちは、すでに犯罪の被害を受け、今度は不名誉に耐えなければならない被害者を苦しめる恐怖心や羞恥心といった問題に取り組まなければなりません。恥辱を感じるべきは被害者ではなく、加害者なのです。

女性に対する暴力撤廃の国際デー(11月25日)事務総長メッセージ | 国連広報センター

つまり、パープルリボンアクションは「暴力反対」を訴えたいわけではなく、世界では上記のようなDVや性暴力が行われしかも表沙汰になっていないことが多いという事実、そしてそれはよくないことであるという考え方、を周知することが目的なのでは。
であるならば、単純に「弱者に対する暴力はやめましょう」では目的を達成できないのでは。





まあ、質問者のような人がいるところをみると、このやり方でもあまり目的達成ができないのかもしれませんが、それでも伝わる人には伝わっていると思いたいですね。


匿名質問者さんのコメント
この運動は「暴力反対」を訴えたい訳ではないのですか? そこに書かれた内容は「暴力反対」に見えますが 「女性に暴力を振るうのはやめましょう」の方が目的を達成できないのではないかと思います 世の中には強い人も弱い人も女性も男性もいます その中で女性を主語に持って来るという事はどんな立場にいるかどうかは軽視されると言う事になります そして立場の弱い人物は自分の意思を伝える権利をそもそも持っていないのでこの運動によって守られるのは必然的に強い女性またはラッキーな女性になると思います 「弱者に対する暴力はやめましょう」の方がずっと弱い立場の女性に近いと言えます 弱い人物に自己主張(声を上げる)事を望むのは無理です 弱いので自分を押さえている自分の上の立場の人物の意向を伺うのが精一杯でしょうから、そこに逆らって声を上げるのはまず出来ない ですから、助けたい人が仮にいたとして、その人たち(助ける側の人)が自分から救い上げようとしない限り助けられる事はまず無いと言えます ですから、「弱者に対する暴力はやめましょう」と訴えてもなかなか助からないのは当たり前で、だからと言って、「女性に」を主語にもってきたら余計弱者はその対象から外れます 何故なら暴力を受けている女性の自分の立場は「弱者」に属しているからです その人たちは自分の立場を女性として認識してはいないはずです 時々お年を召された女性が自分も女性にはいるのか分からないという言い方をします 女性とは一般的に女性として成功してる女性を指し示している言葉で、逆らう事が出来ない人が自分を認識しているのは「弱者」ですね この運動では立場の強い女性(強い女性たち)が利益を得ますが、そこに書かれた弱い抵抗できないような被害を受けた女性は余計泣き寝入りすると思います 単純に弱者は自分をこれだけ苦しめている苦しみから助けてもらいたいと感じているのか 女性だから漠然と自分を助けて欲しいと感じるのか そう考えてみれば誰でも分かる事だと思います

匿名回答1号さんのコメント
いろいろな意見がありますね。 「弱い女性に対する暴力撤廃」にした方がいい、という質問者の意見も一つの意見でしょうね。

2 ● 匿名回答2号

<「女性に対する暴力の根絶を訴える」パープルリボン > というのは、
具体的にどこがやっている運動のことでしょうか。

有名な、国際プロジェクトIPRPでしたら、
http://www1.plala.or.jp/AWCenter/ribbon.html
にあるように、「家庭や学校、社会からあらゆる暴力をなくすために」
であり、女性に限定しているわけではありません。

もちろん、これに賛同している団体は、上記のように「アジア女性センター」
と女性の名前を関しているところもありますが。

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