逆です。非言語的コミュニケーションができない(苦手)のがアスペルガーです。
普通の店員は、客が「いいよ」といったとき、顔が「にこにこ」していれば「OKです」の意味にうけとり、顔がむっつりしていれば「要りません」という意味にうけとる。
アスペルガーの症状がある店員に客が「いいよ」というと、「どっちかわからない」ため、店員は混乱する。
リンク先を読みましたが、質問者さんが都合よく受け取ったようなことはどこにも書いていないとおもいます。(質問者さんは「以心伝心」がどんなものかを提示リンクの文章のはしばしから「以心伝心」に読み取ることができていないともいえます)
「自分ではできないものを好む」からAS(の一部の人)は困ったことになっているのです。AS(の一部の人)は、以心伝心でわかってくれたらいいのにと願いますが、もともとASは全て、言葉や態度の表現が少ない。そんな症状では以心伝心など普通にかんがえれば、どうやってもできない。できないのに、AS(の一部の人)はそれを好むし、そんな人ほど、「自分には以心伝心ができているはずだ」と思いこむ(から社会復帰が遅れる)のだなぁ…という、グチのような文章に読み取れます。AS親子同士なら通用することがあるというのは例外中の例外で、それも以心伝心がうれしいことではなく周りに困ったことをひきおこした例だからくわしく書いたのです。
さらに、AS「の全部」が以心伝心を好むのだ、なんて極論をいう医者はいません。もしいれば藪医者です。この文章も、普通に空気が読める人がよめば、「第一文だけで全てのASにあてはまる」というふうにはうけとりません。その次の文で「ことが多い」といっているからです。ここも質問者さんが読み落としている些細なニュアンスです。 わたしはASといわれたことはないせいか、そういう部分を以心伝心のように読み取っているといえます。
この方の文章には、ASの方が極論として受け止めがちな部分を他にも含んでいるので、ASについて語っているにもかかわらず、ASのおそれがある当人が読んではいけない種類の文章になってしまっている。そうおもいますよ。
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信憑性についていちおう調べたところ、後藤健治という医者は40代に一人と80代以上に2人だけ存在しているようです。80歳以上でまだ診療をつづけて、ASについてブログを書く人はちょっとかんがえられません。
したがって、沖縄の後藤健治医師が複数人いるわけではないとおもいます。その人の評判としてちょっと調べると
精神科医の発言|続 路傍の石 受診拒否、転職(医院をかわる)の連続?
多少は空気を読んでほしいと思ったこと、つらつら。:私的能書:So-net blog
などがでてきます。
お医者なのにご自身もADHDなのだそうですが(なかなかここまで堂々とは言えませんよね)、まずご自身を「もうADHDではありません」といえるまで治すことはできたのでしょうか? 質問者さんの挙げたリンク先を読むとまだ、つらい症状と、薬や休養を駆使しつつ苦闘しながら、医師としてなんとか働いている、そんな人のひとりごとだな、という印象をもちます。ASに対する極論的な部分をウェブサイトという全世界に読まれる場所に書いて、ひとりごとのつもりかもしれないが、ASに読まれたらどうなる? 独立した解釈をしてしまい、困った誤解を起こすのではないか? …という当然されるべき配慮が欠けているのです。だから、あまり読むべきではないです。たぶん、受診できて、口で説明してもらえば誤解は少なくなる、悪くない医師の可能性があるとはおもいますが。
もしかして先週 http://q.hatena.ne.jp/1384788507 を質問された方だとしたら、「治るものもあるが、その場合もきちんと医師に経過観察してもらい、必要なら薬を飲みながら暮らしてもらって、治ったのに近い状態を維持していくのが主流です」と再び念を押して申し上げておきます。沖縄までいかなくていいので、わかりづらいこともきちんと説明しながら診療をする医師をしっかり選んでくださいね。