人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

現在、不登校の中学3年の女です。
小学4年ぐらいからたびたび学校を休んだりして、小学6年の後半ぐらいから不登校になってます。
長いですが経緯はどんな感じだったかといいます。
自分の性格も明るくて、小学1年、2ぐらいは友達もそこそこいて、学校が好きでした。
3年生のときから、クラス替えしてから私と同じクラスに入った女子にからかわれたりしました。
このときはまだ耐えれる状態でしたが、性格は暗くなりました。
私は前から成績は悪く、たまに小さいテストで0点をとっていて、4年生のときから、その3年生のときに一緒のクラスにいる女子から「0点取ったのー?凄ーい!」とわざとらしくからかわれて、隣の女子にこそこそ0点のことを話して、そのあと「何でもないよー!ほんとに凄いね!」と言われたりしました。
あと元々1年の頃から体が太く体重が平均より重かったのがコンプレックスで、体重測定のときに何人かの女子に笑われて、しかも保健の先生にも笑われて小学5年生の時にも体重測定でよく笑われました。

まだ質問文(500文字を超えたので)は長いので下の補足に書きましたので、ご覧下さい。

●質問者: 麻衣=リュウママ
●カテゴリ:学習・教育 人生相談
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

質問者から

続きです。

集団下校のときにも、6年生先輩の方に「じゃまだから、デブはどけよ。」とも言われて強く背中を押されました。
掃除の時間(給食のあと)で教室の床を拭いているとき「わはは(小声)」とこっちを向いて男子に笑われて、私が「どうして笑ってるの?」と笑っている男子に聞くと、「豚が床拭きをしているみたい」と言われました。
よく言い返せない私は「これいじめ?」「もう嫌だ」「学校なんて大嫌い」と思いました。
小学6年のときには、こんな毎日が続き、学校をほぼ毎日いかなくなり、休む日が多くなりついには卒業式にも出られませんでした。
中学1年のときは、母から「入学式に出よう。」といわれ小学6年のときよりは変わっているかなと思い、中学校に入ると前の小学校から一緒のクラスの同級生からは、すごい目で見られましたがしぶしぶ行きました。
クラスの席に座ると、前の小学校からいた女子で同級生の人が多く、新しい担任の先生がいなくなると「お久しぶりーまだ居たんだね」とか言われ笑われて、もう小学校と同じ感じになると思いその次の日から不登校になりました…。
不登校になってからは、愛犬の散歩に行くとき、同級生の女子や男子がすごい目つきで視られたり、中にはすれ違った同級生の男子から物陰に隠れながら帰るまでじーっと見られたこともあります。
ちなみに、一方で散歩の途中で出会ったときまた別の同級生の女子から「大丈夫?」と言われたこともありましたが、逆に私は心の中で「そんなこと思うわけないじゃん。」と信じませんでした。
幼稚園の頃からずっと友達で、いつも一緒に遊んだりしていた、またまた別の同級生の女子は、不登校になった時に手作りのブレスレットと手紙をいただいたりして、「優しいな」と思ってましたが中学2年の頃には、すれ違った時に「こんにちは。」と挨拶をしてもまったく返してくれなくて、その女子も犬を散歩しているときに私を見つけると、さっと走って逃げたりして今もそんな状態です。
もう「友達もいない」「誰も聞いてくれる人なんていない。」とかいろんな意味で辛いです。
勉強も小6以降は、「どうせ頭が悪いから勉強しても意味ないだろう。」「勉強したとしても見てくれる人いないし。」とおもい勉強は全然していなくて、普段は自分の趣味の絵を描いたり、たまにネットをしたり、愛犬と遊んだりしています。
来年は、自分は高校1年生になります。
これは関係ないですが、将来の夢は無理かもしれませんが「漫画家・イラストレーター」で今もその夢をあきらめてませんし、高校はイラストや絵・美術系のところに入りたかったです。
自業自得でかなえられないと思います。
私は、今後どうしたら良いでしょうか…。
読みにくくて、被害妄想みたいなところもあるかもしれませんが、アドバイスをお待ちしています。


1 ● なぽりん

りゅうママさんには、他の、画像加工の質問で、回答を書いたことがあります。おぼえていますか。
そのときの私の思いとしては、不器用な方だなという思いでした。
不器用でも、たとえばダンナさんに愛されているおばあさまならば今後も幸せでいられるだろうと思いなにも書きませんでしたが、まだ年若くていらっしゃるのですね。それでは外に出ないのはいけません。
このままだと、他の人(家族・犬以外)を愛することを覚えられません。人を愛するということは、ツライこと、耐えなくてはいけないこともたくさんあります。赤ちゃんがうんちをもらしても上手に掃除したり、家族が風邪を引いてゲロをしたら掃除したりというのが簡単な例です。そんなの生きていれば自然にわかるというかもしれませんが、お店の人は決して客には言わない(客が怒るから)、新聞にもインターネットのサイトにもどこにも載っていない人生のいろんな知恵を、学校でおしえています。
今は家族に大事にされ、犬も飼えるかもしれませんが、もしもこのまま20年ぐらいして(家にいるとあっという間です)、家族が年老いて入院でもしてしまうと、あなたは殻を割られた卵みたいにぐちゃっとつぶれてしまいます。だれも私を愛してくれなかった、と呟くだけの老いさらばえた人になります。自分から人を愛さないなら誰も愛してくれるわけがありません。
たとえば、イヌがスキなら、トリミングなど、他のかたのペットを扱う商売をすることもできます。そのための専門学校もあります。
勉強自体はネットや通信制、大学検定という手段もあります。
勉強をするということは、社会にでて、人とのつながりをつくる基礎となる知識を学ぶことです。
どうにかして、卵の殻の外にでて、人のためにはたらいて、人のために生きてください。

追伸ですが、あなたの絵は私が見るところでは人に感銘を与えられるほど上手ではないとおもいます。
絵も文章と同じ、人に感動をつたえる手段ですが、ペットの犬のかわいさがあまり上手く表現できていませんでした。たぶん、自分のなかで、犬=かわいい の公式があたりまえになりすぎていて、何も知らない他人にまでうまくつたわっていないのだとおもいます。それではお金をもらえるようにはなりません。人にみせて、どこが伝わらないか、どこがかわいくないか、感想を正面からうけとめられる強い人がウマい絵をかけるようになります。
心が弱いとなにごともできないまま終わります。

http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20131207/1386476138


2 ● 朝霞(あさか)

40代半ばのおばさんです。

まあ、ぶっちゃけこの歳になってもヒキコモリです。
小学校の頃からいじめられたりしてましたが、「自分は自分」という感じで、好き勝手にやらせていただいてました。いわゆる「おひとり様」です。
クラスでは孤独でしたが、趣味で学校の内外に友達が出来て、それで助けてもらったと思っています。今でも感謝してます。

父が高校の頃亡くなった時から自分の人生は崩れて行ってしまいました。自分でコントロールできるところがあっても、自分の心が迷子になっていて、コントロールできない、そういう状態になりました。
それに重なるように、色々なトラブルが起きて、最終的に母の死後、家は崩壊しました。

いつからか、ウツ病になりました。早めにきちんと治療を受けていれば、社会復帰できたと思います。
しかし、20年以上前は、ウツは世間に知られておらず、精神科といえばキチガイが行くところというレッテルが貼られたような場所でした。
ウツに関する知識もあまりなく、治療をサボっている間に家のトラブルが起きては状態が悪化し……段々、もう、戻れない状態までになってしまいました。

自殺を考えた事もあります。
しかし、今は良い精神科の医師と出会い、静かな療養生活を送っています。

自分のような辛く苦しい人生を歩んで欲しくはありません。
しかし、自分でどうにもできないトラブルが起きる可能性は否定出来ません。だからせめて、ご家族、親戚の人、どなたか「頼りになる方、様々なことを相談出来る方」と良く話し合って生活して欲しいと思います。
また、下記のような相談電話なども利用してみて下さい。
-------------------------------------------------
◆「24時間いじめ相談ダイヤル」について:文部科学省 :
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1306988.htm

24時間いじめ相談ダイヤル 0570-0-78310(なやみ言おう)

◆18歳までの相談電話:チャイルドライン: http://www.childline.or.jp/kids/
0120?99?7777
毎週:月?土
時間:午後4時?9時

全国どこからでも、無料で電話をかけることが出来ます。
チャイルドラインでは子どもたちに安心して電話をかけてもらうため、4つの約束を大切にしています。

なまえは言わなくてもいい
切りたくなったら切っていい
ヒミツは守る
どんなことでもいっしょに考える

関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ