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アルメニア使途教会(?):エルサレムの聖地を扱う番組を以前みたのですが、「ユダヤ教地区」、「キリスト教地区」、「イスラム教地区」に場所が分かれているとしてましたが、自分で調べたところ、もう一つ、アルメニア教会の場所があるそうです。キリスト教のカトリックとオーソドックスが一つに纏められて「キリスト教地区」にされているのに、アルメニア教会が、ひとつの地区を持っている事情が知りたいと思いました。

ちなみに、アルメニア教会でも、アルメニア使途教会のほか、いくつかあるようです。エルサレム聖地の「アルメニア地区」は、アルメニア使途教会のものか、他のアルメニア教会も含むのか、そのことは、私はわかりませんでした。

なお、現在は、人数でみてもそれほど宗派でもないようです。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答2号

Armenian Quarter
http://en.wikipedia.org/wiki/Armenian_Quarter (英語)
の事ですね。

アルメニアは世界で一番最初、西暦301年にキリスト教を国教にした国です。
西暦451年のカルケドン公会議で定められたカルケドン信条、つまり「キリストは神でもあり人間でもある」という見解を否定したため、主流派(後のカトリックおよび東方正教会)からは異端視されていました。
従って、アルメニア使徒教会をカトリックやオーソドックスとひとまとめにはできないわけです。
ちなみに「非カルケドン派」には、アルメニア使徒教会の他に、コプト正教会・シリア正教会・エチオピア正教会などが含まれます。

エルサレムにアルメニア地区がある理由については、「イスラエルの少数派 その2」
http://m-mikio.world.coocan.jp/isminority2.html
に記述があります。

イスラム勢力がエルサレムを支配したときは、アルメニア正教がビザンチンのギリシャ正教と対立していたため、また母国のアルメニアが多額の援助を送って税を支払ったために、一定の地位を確保してきて、現在のエルサレムの4つの地区の一つを構成してきた。

母国の強力な支援や宗教上の対立の関係で、現在も地区が残っているようです。

なお、アルメニア地区にアルメニア使徒教会以外の会派の建物があるという記述は見当たりませんでした。


匿名質問者さんのコメント
有難うございました。非カルケドン派であり、カルケドン派である主流派(ローマカトリックや、ギリシャオーソドックス諸派)と別個の地区を持ったのは、合理的な感じもしますが、実際、母国の支援があったのですね。エルサレムが分割されたという時期はいつごろなのでしょう。 なかなか、そこにまで踏み込んだサイトなどはないのでしょう、 母国のアルメニアとはどこのことかと思いました。キリキアにアルメニア王国があった時代があるので、そのことであろうか、とも思いました。すると、四分割時のエルサレム支配者のイスラム教勢力とは、どこの勢力かわかるかな、と思った次第です。(キリキアのアルメニア王国の時代ですと、ローマカトリックと、オーソドックスも、はっきりは分かれている時代ですけれど)

匿名回答2号さんのコメント
まず、回答の一部に調査不足な部分がありましたので修正しました。 >エルサレムが分割されたという時期はいつごろなのでしょう。 Old City (Jerusalem) http://en.wikipedia.org/wiki/Old_City_%28Jerusalem%29 には、 >> Traditionally, the Old City has been divided into four uneven quarters, although the current designations were introduced only in the 19th century. << とありますので、4分割は過去からの伝統に従っているようですが、現在の区割りになったのは19世紀と比較的近年のようです。 >母国のアルメニアとはどこのことかと思いました。 同じページから、イスラム教勢力がエルサレムを最初に支配したのは7世紀(637年ごろ)ですので、紀元前から続いた大アルメニア王国の末期に当たります。 ローマ帝国やペルシャの支配下にあった時期ですね。 その後、861年から1118年まで、バグラト朝として独立してます。 キリキアのアルメニア王国は、さらにその後になります。 この税は人頭税(ジズヤ)で、661年から750年のウマイヤ朝で導入されたものですから、「母国のアルメニア」は大アルメニア王国(ないしバグラト朝)で良いのではないかと考えます。

匿名質問者さんのコメント
バグラト朝の時期との話、ありがとうございます。キリキア王国よりずっと以前ですね。独立はすでに失っていたものの、援助をするというのは、ある程度、反映していたのですね。 母国が繁栄していたということもあるでしょうが、アルメニア人として成功した階層(富裕な)が中東に散らばっていたのだろうとも推測します。

質問者から

追加の質問・・・・・

匿名回答2号さまの説明でだいぶわかりました。
アルメニア地域には、誰でも入れるのかな、と思いました。
コプト教会やエチオビア教会の教徒は、アルメニア地域で礼拝をされるのでしょうか。

追加で、この点をお伺いしたいと思います。


2 ● 匿名回答2号
ベストアンサー

追加質問への回答です。

>アルメニア地域には、誰でも入れるのかな、と思いました。
エルサレム旧市街の旅行記
http://4travel.jp/travelogue/10044648
に、「フレスコ画が美しいという、アルメニア地区の聖ジェームズ(ヤコブ)大聖堂には行きました。」という記述があるので、誰でも入れるものと考えます。

>コプト教会やエチオビア教会の教徒は、アルメニア地域で礼拝をされるのでしょうか。
シリア正教会は、エルサレムのアルメニア地区に教会を所有しています。
アルメニア地区の北東の外れにある聖マルコ教会(修道院)です。
「聖マルコ修道院」
http://www.syrian.jp/006-2-3.htm
Saint Mark's Syrian Orthodox Church
http://holylandphotos.org/browse.asp?s=1,2,6,19,396,472

コプト正教会もエルサレムに修道院などの建物を所有しているようですが、その所在地はキリスト教地区です。
The Coptic Church in Jerusalem
https://sites.google.com/site/copticorthodoxjerusalem/our-church-in-jerusalem

エチオピア正教会は、1959年まではコプト正教会の一部であり、イスラエルがエルサレムを占有するまで聖墳墓教会を守護してきましたが、現在ではその地位を失っています。
現在の聖墳墓教会は、カトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会の複数教派による共同管理となっています。

「非カルケドン派」の諸教会は、教理が同じである事から相互にフル・コミュニオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3
ですので、例えばエチオピア正教会の教徒がアルメニア正教会の聖ヤコブ大聖堂で礼拝するというケースもありうると思われます。


匿名質問者さんのコメント
有難うございました。 ドイツのルター派の信徒や、英国国教会の信徒は、 キリスト教地区で礼拝すると思われます。消去法で考えるとそうなります。 そこに、ルター派の牧師や、国教会の聖職者が詰めているか、 わかりませんけれど・・・・・・・・ 日本のキリスト教の信徒の多くはプロテスタントが多いようですが、 彼らが、エルサレムへ旅行するなら、キリスト教地区で礼拝するのでしょう、 今度、訊いてみたいな と思います。 非キリスト教徒の者(たとえば、多くの日本人)が観光で、エルサレムを訪れるとき、 キリスト教地区、アルメニア地区には、入れそうに見えますね。 自分も、いつか、訪ねてみたいと思います。

匿名質問者さんのコメント
補足します。「フルコミュニオン」というのがひとつのポイントなのですね。 プロテスタント諸派では、キリスト教のカトリックとも、東方教会(オーソドックス)とも、 フルコミュニオンではないと思います。例外はあるかもしれませんが。 しかし、それらの教会施設で礼拝するしかないだろうな、と思いました。 おミサに参加する場合も気になります。 十字の切り方など、すこしずつ違うそうです。 なお、アッシリア東方教会は、 アルメニア使途教会やコプト教会、エチオビア教会とも異なるようですね。 また、マロン派は、カトリックとフルコミュニオンかなと思います(たぶん)。 ということを考えると、 アッシリア東方教会の人や、プロテスタントの方は、自分たちのミサには 参加できないのですね。
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