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織田信雄の「三介どの」という通称はどこから来たのですか、三河介に任官した(称した)わけではないと思いますが。また、これは、他人(織田家の家臣)からの敬称なのでしょうか。
なお、織田信孝が、「三七どの」というのは一体どういう意味合いだったのでしょうか。


●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号

どちらも幼名ですね。

織田信雄:

元亀二年(1571)舟江城にて元服、北畠具教の四女雪姫(千代御前)と婚礼。
北畠具教の嗣子として北畠三介具豊と名乗る。

http://www.gokuh.jp/ghp/matsuei/ko_02.htm

織田信孝:

幼名は三七(3月7日生まれだったためとも)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E5%AD%9D


匿名質問者さんのコメント
どうもありがとうございました。 信孝の三七は、3月7日生まれということなら、あぁそうか、と思いました。 三介は、どうしてこのような幼名を付けたのか、北畠家でよく使う幼名だったのだろうか、 と想像しましたが、いかがでしょう。 (徳川家の「竹千代」みたいな) なお、信忠長男の三法師も含め、「三・・・」が多いなと感じました。

匿名回答1号さんのコメント
北畠家でよく使う幼名だったというわけではないですね。 信孝が先に生まれていて実は三男なので、という説もあるようです。 単に信長の気まぐれなのかもしれません。
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