尾張守護代織田伊勢守家と織田大和守家の官途状の名乗りについて伺います。?伊勢守とは大国の国司の一等官にして、かつ名実共に伊勢守である人が近隣にいます。北畠氏は、伊勢の大名であり、調停から正式に伊勢守に任じられています。?大和守とは大国の国司の一等官にて平城京のあった特別な地で、仏教勢力の興福寺が抑えています。
以上、こういう特別な官途を名乗るのでしょうか。
もちろん、私称が多いと聞きます。しかし、尾張守護である斯波氏の同意もあるはずです。いや、斯波氏が与えるという形式ではないか、とすら思います。斯波(武衛)氏は、室町幕府の名門にて、体制側です。いくらなんでも、伊勢守や大和守を認めるのだろうか。尾張守は上国の国司(一等官)に過ぎず、大国の伊勢守や大和守より国司としては下座となります。結果として、伊勢守や大和守は、尾張守護の権威を凌ぐようにも思えます。