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露西亜という和名(和名とう言い方で良いのでしょうか)は、いつごろ定着したのでしょうか。政府の作った地図帳などでしょうか。「露」ではなくて「魯」という文字を使うこともあるみたいなので、質問します。
江戸幕府の頃は、ふたつの言い方があり、明治時代にもふたつの言い方があったんでしょうか。だんだん、魯は疲れなくなったのでしょうか(ニチロ漁業という会社がありますが、これは「魯」の方でした)。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2

現代日本語の漢字表記は露西亜で、略称は露。江戸時代にはオロシャ、をろしやとも呼ばれた。これは、中国語の「俄羅斯」及びモンゴル語のОрос(オロス)に近い呼び名である。日本の江戸時代から戦前にかけては魯西亜という表記が主流で、1855年に江戸幕府とロシア帝国の間で初めて結ばれた条約は「日本国魯西亜国通好条約」という名称になった。この漢字表記について1877年(明治10年)にロシア領事館から「魯は魯鈍(愚かなこと・様子)を連想させる」との抗議をうけた当時の日本政府は、ロシア側の希望を容れ表記を露西亜とした。


匿名回答2号さんのコメント
政治絡みで明治十年に決着か! それ以降は官制の呼称が新聞などを通じて次第に定着したって事だね。

匿名回答2号さんのコメント
中国は敵対する国に蔑称を付けて呼ぶ。 ロシアも面子を大切にする国だからね。
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