端的に言うと死後は本人に取っては何もありません。
般若心経で言う所の『無』です。
ですが、その当人の家族や親交のあった人がそれぞれの思いを胸に抱いて何時までも生き続けます。
天国、地獄、来世とか言うのは生前に悪行をしない様、戒めるために説いているものです。
幽霊もしかり、人を殺めたりいじめたりすると幽霊となってあなたに纏わり付きますよ、だからそんなことをしてはいけませんよとのことです。
普段から念仏を唱えていれば死んだら天国に行けるなんてのは絶対にあり得ませんし、その反対の地獄もありません。
全ては物理的に『無』なんですから。
ですがせっかく頂戴した命です。
そのお礼や感謝の気持ち持つことが大事であって、生きている間に善行を心がけましょう。
それがあなたの死後にやって来る、あなたの評価となるのですから。
ずっと人生真っ当に生きれば天国に、犯罪とか自殺をすれば地獄に行くらしい
自分で生まれ変わっても可能らしい
そう、僕も死後の世界の天国や地獄、前世や来世は信じていません。
ただ、眠るだけ、心臓が止まっても、まだ体の細胞がなくなる訳ではないから、夢はみるかもしれない、そこまでは睡眠と同じ。目覚めたときに、夢をみていたと感じるか、あれ、もう朝か、と感じるのか、その目覚めがない眠り。
目覚めて活動することができない、でも何かを感じているかもしれない。感じていても何もできない、周りで泣いている人がいることも、もしかしてほくそ笑んでいる人がいても、感じていることを表せない。
そのうち火あぶりにされる、僕はそれが嫌なんだけどね。
嫌だと感じても、何もできない、隔離されて、焼かれて、灰になって、そこまで行けば完全な無、なんだと思います。
心地好いとか悪いとか、そう感じられるのは体の細胞があるからで、細胞がなくなれば、感じるも感じないも何もない、それだけですよ。
どっかの国では鳥葬ってのがあるらしくて、それがいいかな、灰になるより食べられたい。
海で魚介類に食べられるのもいい、だから川に流されるのもあり。なんてゆうか、自分を食べてくれる命を支えたいような気持ちなんです。
まあ、死んだあとの心配は取り越し苦労だと思うので、よりよい未来のことを考えていたいですけどね、生きている限り。
ぼくは、
前世も、魂の存在も、
証明が出来ないので、
グレーゾーンです。
何となく、
死んだばかりの時は浮遊霊で、
その後すぐに、
天使みたいなのが現れて、魂を捕まえて、
神様のところに連れて行って、
適切な裁きを受ける
・・・なんて思っています。
これだと、幽霊というのは、
神様が、事情により、
死後も天使を送らないでいる状態
という事になるのかな。
キリスト教の教えでは、人は死ぬと土地の肥やしになると書かれていましたね。