体験談を書きます。
私は思春期の頃から消滅願望が強くて、自殺に関する文章をたくさんかいていました。
長じて社会人になったころの日記には
「自らを枠にはめないとばらばらになってしまう」
と書いております。
その後、精神疾患のために実際に未遂騒ぎを起こしたことがありまして、
入院しました。
それから自宅療養をしつつ現在にいたっておりますが、
未遂のあとで、胸に去来したものは
「もう余生になってしまったから死んでも死ななくても一緒かな」
ということでありました。
それから、自ら枠をはめて生きていかないとだめだと思っていたのですが、
枠にはめること自体が崩壊を呼び寄せるということにも気がつきました。
要するに自分自身をある状態に強要しながら生きていくというのは自殺に等しいということです。
ですから、私はその後、人の人生と自分の人生を比べない。
理想の人生を送るためのことは考えない。
死にたくなったら、金が尽きるまで好きなことをやってから死ぬ。
自分の持ち物全部なくして、薬も飲まず、そういうことができるなら死んでやろう
というように考えるようになりました。
質問者さんの苦しさというのは、
おそらく、人生に対する漠然とした苦しみから来ているものだと思います。
なんだかわからないのだけど、苦しい。
それは実際精神疾患の前触れであったりすることもあるのですけれども、
通院もうまくいかなかったとのこと。
これについては、お医者さんとの相性や、薬の相性があるので、もし1つだけの病院で見切りをつけたというのであれば、別の病院を探してみるのも一つの方法かもしれません。
とにかく、苦しいことは苦しいとお察しします。
この苦しみに答えられる術を私はもっておりませんが、
苦しいまま生きてみる、という選択も悪くはないと近頃は思っております。
楽にできればそれに越したことはないのですけど、
楽という基準も所詮は自分の思い込みだったりするので、苦しいという基準も自分の思い込みにすぎないということはあるものです。
それと、実際に気が狂ってしまった私がいうのもなんですけど、気が狂うというのは狂うまでは不安でいっぱいですが狂ってしまうとそれどころではなくなってしまいます。この気が狂うというのは自分が自分じゃなくなる恐怖だと思いますが、世の中には精神疾患ではなくても世事に狂って自分を失っている人はたくさんおります。
勝手なことを書き連ねましたが、どうか死ぬということを考えてしまったら、
本当にやりたいと思うことをやって、それから考えてみてくださいね。
変な話ですけど、現在の生活から逃亡したってかまわないと思っているのですよ。
僕も物心ついた頃すでに、死にたいと思っていました。
ですが、今では気楽に生きています。
あなたが壊れることを恐れている自分、それそのものを壊すことが怖いでしょうが、それを壊すと、スッカリ楽になります。
その自分を壊すことが怖かったら、この先は読まないでください。
僕が死にたいと思っていた原因、それは母親でした。
なぜかわからない、ただ否定されていた、自分が駄目な人間なんだと信じていた、母親が言う通り、僕は駄目な人間なんだ、何をしても認められない、もう死んだ方がいいんだ、本気でそう思い続けていました。
それでも死ぬのが怖くて、30年以上、どこに向かっていいのかわからず、何かから逃げるように、でも何から逃げようとしているのかもわからず、毎日をごまかすように、でも何をごまかそうとしているのかもわからず、イライラと不安の日々を送っていました。
まず何から逃げようとしていたのか、それは臆病になってしまった自分を認めることです。何をごまかそうとしていたのか、それは母親の言葉です。
親の言うことは絶対に正しいに決まっている、これは嘘です。親も自分をごまかして生きていますし、何がしあわせなのかもわからないままなので、親の言うことに従っていても当然しあわせが何なのかわからず、迷っている自分を駄目なんだと思ってしまうだけです。
親は自分を正当化するのに必死だから、自分たちは絶対に正しいに決まっていると言い続けていましたが、それが正しくないことに気づいてしまいました。
あなたが「まとも」になろうとするのは、親に駄目だと否定され続けていたことのあらわれだと認識できます。
「平穏」を望むのは、これまでずっと不安だったことのあらわれです。
不安を守っていれば、生きている限り苦しみ続け、何かでごまかしながら「平穏」から遠ざかっていきます。
あなたは変わらなければならない、その時期だと思います。
変わるためには、バラバラにしていいんです。それは一晩中苦しむかもしれませんし、2、3日動悸がするかもしれませんが、それを越えるとスッカリ楽になります。
自分が正しいと思っていたこと、それは間違えていたんだ、だから苦しかったんだ、はっきりとそう認識して、反省することが必要です。それは恐ろしいことのように感じられるかもしれませんが、そのまま生きることのほうが、本当に恐ろしいことなんです。
バラバラになるのは不安の積み重ねであって、あなたそのものではありませんから、怖がることはありません。
その反省ができれば「ただ生きる」なんてつまらないことです。
あなたが生きる意味、それは誰かに喜んでもらうことです。誰からも喜ばれない存在なんて何の意味ありませんからね。
誰かに喜んでもらえることの喜び、これを感じられるようになれば、頭の中のモヤモヤしたものはスッカリなくなり、明るく楽しく生きることができます。
僕は3日間反省し、今では完全に頭の中のモヤモヤを払拭して、解放されたような晴れ晴れしい気分で生きていますよ。
自分を苦しめていたのは、バラバラに壊すべき自分だったんですから。
消すことができます。
どこからそれがやってくるのか、理解することです。
どうして自分がそう感じるのか、発見することです。
答え、
それは、社会の意識なのです。
もっと言えば、競争社会です。
競争社会では、人を蹴落とさなければいけません。
その声はつまり、人に「どっかいけ」と言っているのです。
あなたのその願望は、その声にすり込まれた意識と言えるでしょう。
あなたの性格は、多分騙されやすい(すり込まれやすい)のではないでしょうか。
だから、あなたのその願望は、ただのあなたの意識が騙されただけです。
気にすることはありません。ただ、競争社会である」だけのことです。
社会保障で生活保護とかありますし、ただ、運動会の100メートル競走で、皆が必死になってるだけです。あなたも社会で働いて、お金を得て、立派に競争に参加して、生きていくことができますし。