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「仏教徒である(必ずしも熱心ではなくとも)こと」と、「無神論者であること」や「不可知論者であること」とは、矛盾するでしょうか。
どう考えたらよいか皆目わからず、質問しました。仏教といっても幅広いでしょうけれど。
仏教でも、?祈祷により願いが叶う、?死んだら阿弥陀如来が救いに来て極楽浄土へ行けるかもしれない、?悪いことをすると地獄に堕ちる、という信仰ならば、無神論者とは明白に矛盾します。
しかし、「すべては無である、人生は夢幻のようなもの、それを悟りなさい」なら、矛盾しないみたいにも感じます。
或いは、仏教とは、不可知論に近いのでしょうか。
私の周りは、一応仏教徒、なんとなく仏教徒という状態です。
(仏教を本格的に勉強すればいいのですが、どこから手をつければよいかも、
よく分からず、ここに質問しました。)

※ キリスト教信徒である、種々の神道の信者であるいうことと、無神論者であることは
相容れないということは、すぐわかるのですが。
(また、不可知論者であることとも相容れないと思っています。)

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

仏教でいうブッダは単なる宗教指導者です(まあマホメットもイエスもそうなのですが)
エホバ、アフラマヅダ、ヒンドゥーのシヴァの神、日本の八おろずの神などとは違います
イエスは神の子なのでキセキをおこしたので半分神かな。

?祈祷により願いが叶う、?死んだら阿弥陀如来が救いに来て極楽浄土へ行けるかもしれない、?悪いことをすると地獄に堕ちる
については宗派により立場が異なります。原始仏教にはそのような考えはなかった、むしろヒンドゥー教のそういう教えに反発してできたのが原始仏教ですし、現在もその3つを必ずしも満たさない仏教宗派があります(禅宗など)。が、子供や教育の無い人、物わかりの悪い人には「方便」として他の有神論宗教と同じ行動規制をかけて悟ったのと同じ行動をさせようとする場合もあるので、禁止されてるわけでもないです。
現在は学問として見た場合仏教の本質は哲学であるという考え方が増えてきています

日本は歴史的経緯で、仏教と神道があわさったため「なんでも死んだら(死ななくても伝来して超越的に存在しさえすれば)社をたてて神として祀ることができる」という神道の万能性により仏教の宗教指導者である釈迦・菩薩のみならずダルマ、ジゾウなども神扱いみたいになっちゃってるんですけどね。簡単なところでは、「七福神」の来歴をしらべればそれらをどの宗教で祀ってもおかしいということがすぐわかります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E7%A6%8F%E7%A5%9E
これを平気で祀っちゃうので、日本は排他的有神論ではない。=無神論なの?と外国人には見られます。
結局無神論と原始仏教とは矛盾しないはずのものです。今の仏教の宗派の一部は矛盾してみえるかもしれません(新興宗教にいたっては排他的有神論として仏教を採用するところもでてきている)。というのがお応えになるとおもいます。


匿名質問者さんのコメント
有難うございました。 ?祈祷により願いが叶う、?死んだら阿弥陀如来が救いに来て極楽浄土へ行けるかもしれない、?悪いことをすると地獄に堕ちる、など、3つのことを書いてみましたが、これは代表的なポイントだったでしょうか。 他に、?この世の他にも、世界がある(三千世界とか)、?輪廻を繰り返し、そこから解脱するのが理想(これは、本当に何もなくなってしまうということなのか?)ということも考えました。 他に世界もあるとか、輪廻とか、意識の存在や宇宙の存在を考えようとするという点で、哲学という括りがスッキリするような気もします。 原始仏教にもとても関心を持ちます。いまなら、禅宗というのが、一番近いということのようですね。

匿名回答1号さんのコメント
http://news.nicovideo.jp/watch/nw955897

匿名回答1号さんのコメント
一番メジャーなお経の一番やわらかい現代語訳です。アッラーアクバルやゴッドレイン、ゴッドオムニポテントからするとびっくりするほど「神」不在ですよね。南無阿弥陀仏のほうは一神教にみえないこともないですが。仏教に帰依することは仏に帰依しているのとは違うという例として挙げました。 ちょっと連想したので商業と信仰について(読まなくてよいです) 今も、商品や社長やゆるキャラなどに対して信仰に近い態度をもとめる場合がありますが、そうさせているほうが収益に都合がいいだけです…。今の日本には本当の意味の信仰はあまりないです。 はかないものとわかっていて信じるうちはいいですが、信仰が少し深まるとオタク程度でも狂信者扱いで魔女狩りみたいですから、信心深い態度そのものも「きもちわるい」のかな。だから若い人相手では哲学にちかい仏教であるほうが都合がいいのですが、瀬戸内寂聴さんのように年いってから深く帰依する回帰現象もあり、

匿名回答1号さんのコメント
http://q.hatena.ne.jp/1390114219 ヨガや瞑想とならべられていることもあります。

匿名質問者さんのコメント
どうも有難うございました。 御免なさい、「ゴッドレイン」と「ゴッドオムニポテント」というのがわかりませんでした。ちょっとググったのですが、やはりうまくヒットしませんでした。教えてくださると嬉しいです。 禅ですが、近所の禅寺に、日曜など通ってみるのが、早いかもしれないと思いました。たしかに、ヨガや瞑想とどう違うのか、考えたことすらありませんでした。

2 ● 匿名回答2号

浄土真宗ですが、他の信仰が一切禁止されてたり。

浄土三部経のうちのひとつである阿弥陀経しか詠んでませんが、そこでは極楽や神々について語られてるので、無神論ではいられません。

ただ、宗派や住職それぞれの考え方で違った解釈があるのも事実だと思います。


匿名質問者さんのコメント
ご教示ありがとうございます。 ● 浄土真宗では、他の信仰が一切禁止されているということでしょうか。 キリスト教であれば、唯一神ですし、偶像崇拝として、禁止されるとは推測できるのですが・・・ ●浄土真宗ですと、神社へお参りに行くことも、厳密にはダメなのでしょうか。 (浄土真宗では、江戸時代など神仏習合はなかったんでしょうか) ●また、浄土真宗の門徒の方は、他の宗派のお寺へ参るということはないのでしょうか。 (観光でいろんなお寺を参ったりするのは、本当は良くないことという位置づけでしょうか) 教えていただけると嬉しいです

匿名回答2号さんのコメント
神道はもちろん、占いなんかも厳密にはだめなんでしょうね。 阿弥陀如来一仏を本尊とするとありますから。ウィキペディアですけど。 ただ、お寺の住職さんもそれを強要はしないです。 実家には仏壇も神棚もあります。ほんとはだめなんでしょうけどそれを咎めだしたらお寺はやってけないでしょうし。

匿名質問者さんのコメント
有難うございます。 お寺をめぐって、阿弥陀様以外の仏様を拝んだりしたら、 少し拙い、そういう立場が浄土真宗なんですね。 今後、注意して浄土真宗のお寺を見てみようと思います。

匿名回答6号さんのコメント
仏教の中では浄土真宗と日蓮正宗が過激で、この二つは他派の仏教でも認めませんね。うちは日蓮正宗ですが、「観光はいいけど参拝は駄目」と言われたことがあります。

匿名質問者さんのコメント
有難うございました。 浄土真宗もお東、お西や高田派、それ以外にも・・たくさん宗派があるように思いました。 実家には真宗10派というカレンダーがあります。 (http://www.d1.dion.ne.jp/~mitinori/honganji/sosiki.html) 浄土真宗は激しいのですね。浄土宗とは名前が似ていますが、だいぶ違うのですね。 わたしの曽祖父は東だったのですが、子供には、浄土真宗(西なども含む)との縁組しか認めなかったらしいです。ただし、浄土宗は特例なのか、認めたようでした(法然上人は、親鸞上人のお師匠さんですし)。 日蓮宗にもいくつかあると思いますが、日蓮正宗は厳しいのですね。

3 ● 匿名回答3号

一種の哲学者としてのブッダの教えは、むしろ不可知論ですし無神論ですね。

イエズスなんかもそうですが、歴史的背景を考え合わせれば、彼らは「迷信と権力機構の一部としての『宗教』に対抗する、善と智を志向する実存哲学者にして社会的ゲリラ」としても括れます。


ブッダの"刺さった矢を抜く抜かない"の譬え話なんかにも、彼の不可知論・無神論的傾向と「生身の人間の、いまここでの善と智」への志向が窺えますね。


なんだかんだで、ブッダ自身の「智」と「仏教」という宗教は、分けて歴史学・宗教学の対象として観たほうが面白いと思います。


匿名質問者さんのコメント
仏教は哲学みたいな感じもしています。 無とかいうと、無神論につながり、虚無主義にもなりそうな感じがします。 そういえば、虚無僧という人がいますけれど、ニヒリストとはちがうんだろうと思います。 虚無主義なのだけど、善と智を志向するという点で、やはり宗教の範疇なのだろうか、と思いましたが、 この考え方はおかしいでしょうか。 虚無主義を貫くと善悪の区別もつかなくなりそうなのですが(私の感覚では)、 それでも、善や智を求め、己を律するのが、仏教が宗教であるところなのでしょうか。

4 ● 匿名回答4号

一般に無神論者と言った場合は宗教を信じないという意味なので、仏教も含まれるでしょう。仏教と一言で片付けていますが、広義にはヒンズー教も入ると思います。
悟りも宗教のうちでしょう。全ては無であるという事を信じる宗教です。
宗教と哲学は重なっていますから、無理に分けて考える必要もないのでは?
ですから、仏教徒であれば仏教という宗教を信じているのですから無神論者ではないと思います。


匿名質問者さんのコメント
広義にはヒンズー教も入るというのは、そんな感じもしました。ヒンズー教は土着的で、 純粋な仏教と、もっとも対置されるような気がします。

質問者から

仏教の件でいろいろなご指摘をいただきまして有難うございます。
>?祈祷により願いが叶う、
>?死んだら阿弥陀如来が救いに来て極楽浄土へ行けるかもしれない、
>?悪いことをすると地獄に堕ちる、
に付け加えるとすると、
?他の世界もある
(⇒三千世界とか???、金剛界と胎蔵界とか???、天とか人間界とか畜生道とか???)
?輪廻転生とか、解脱の話
が考えられます。
儒教が怪力乱神を語らないという不可知論の姿勢なのに対し、仏教は、阿弥陀様とか、輪廻とか、祈祷や曼荼羅とか、金剛界・胎蔵界とか、語っております。原始仏教ではそんなものはなかったのかもしれませんが(原始仏教も何も、勉強しておらずよくわかりませんけれど)。



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