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「宗教的な物事」Xを広めようとする人A(布教者)が、
布教する過程で、Xは宗教では無い
と、言い張ると、
(AはXは宗教では無いと思い込んでいたり)
Aにとって重大な矛盾というか
何らかの「宗教的な」不整合が起こり得るでしょうか?




この質問はとても抽象的なので
回答者の方には、そういう問題の具体例を挙げて頂きたいです。

齟齬は生じない ということが示せるなら
そちらの回答でも結構です。

●質問者: tak
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 7/7件

▽最新の回答へ

1 ● なごやん63
●15ポイント ベストアンサー

http://susukkekki.blog.fc2.com/

例えば、Xが「食事をする前に、少しだけ感謝の気持ちを込めて黙祷しなさい」として、AがXを実行していなければ、宗教的な不整合が生じると思います。しかし、Xが「食事の前には、手を洗いなさい」ということであれば、このXは、宗教の枠を超えた内容なので、AがこのXを実行していなくても、宗教的な不整合だとは言えません。


takさんのコメント
この場合、 「食事前に黙祷」が、宗教的行為ではない と、Aが言い張った場合 に何か不整合が起きないか が知りたいですが

なごやん63さんのコメント
黙祷ということは、仮に何の宗教を信仰していなくても、人間万事に備わった宗教心に基づくものであり、宗教的な行為に他なりません。従って、そのような「食事前に黙祷」をしていないAが、宗教的な「食事前に黙祷」を広めようとすることは、不整合だと考えられます。

2 ● adgt
●15ポイント

自分の中で矛盾したできごとがあると人間は不快感を感じます。それを認知的不協和理論と言います。

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)は、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。 人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。有名な例として、イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の逸話が知られる。

不協和の存在は、その不協和を低減させるか除去するために、なんらかの圧力を起こす。
つまり、複数(通常は二つ)の要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去することができる。
認知的不協和 - Wikipedia

ここからは、仮定の話です。
Aの中で、以下の2つが、どのように既定されているかによって反応が変わるでしょう。
?物事「X」、と、?宗教の意味です。

例えば、Aにとって「宗教 = 悪いもの」、「物事X = 良いもの」という前提関係が成立している場合に、「物事Xは、宗教だよ」ということは、物事X = 宗教というこは、物事X = 悪いもの という関係ができてしまいます。物事Xは、良いはずなのに、宗教と物事Xが同じと言うことは、物事Xは悪いってこと?と自己矛盾した状態になってしまうのです。
そこで、Aとしては、「物事X ≠ 宗教」ということを主張し続けることで、自分の中の矛盾を解決していると考えられます。ただし、それを意識してやっているか無意識にやっているかは、分かりません。


3 ● sibazyun
●14ポイント

「宗教的な物事」と「宗教」とはもともと違いますね。
たとえば、X=「予言の書」は、宗教的な物事で、それを売り広めることも
Aの仕事ではあるでしょう。しかし、Aは、
???「予言の書」はあくまでもきっかけで、宗教そのものではありません、
宗教とは、その予言の書を読んであなたの心に起こる変化です???
と説くことはありそうです。

dummy: http://q.hatena.ne.jp/answer


takさんのコメント
この例え話で、 何か矛盾が生じていますか? いませんか?

sibazyunさんのコメント
矛盾は生じていません。なぜなら、「宗教的な物事」と「宗教」とは異なるからです。

4 ● rsc
●14ポイント

「嘘も方便」とか、「大義の為に小さな犠牲は仕方ない」といった合理化をやって誤魔化してるんじゃないのかな。
※参考URL
http://gogen-allguide.com/u/usomohouben.html
http://read2ch.net/news4vip/1387289140/


5 ● miharaseihyou
●14ポイント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A

一番有名なのが「創価学会」の名称でしょう。
宗教ですが、「○凹教」ではなく「学会」あるいは「会」を名告っています。
また、「公明党」も「党」を名乗っていますが、実際には創価学会の下部組織だから宗教組織に限りなく近い。

私は子供の頃、何を研究している学会なのか不思議に思ったことがあります。
大人にとっては常識だったんですけどね。
信者獲得の第一歩としては警戒心を抱かれにくい名称です。

例えば公明党に入党したままで学会には入信しないでいることが長期間可能とは思えません。


takさんのコメント
どのような矛盾が生じる/ 生じているでしょうか?

Lhankor_Mhyさんのコメント
>miharaseihyou なぜ「学会」なのかご存知ないようなので、どうぞ。 >http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AD%A6%E4%BC%9A:title> 創価教育学会(そうかきょういくがっかい)は牧口常三郎、戸田城聖により創立された教育団体で創価学会の前身。 << 年表を読むと分かるのですが、創始者の牧口は学者肌の人間でした。牧口が戦前に獄死しなければ、教団拡大に手腕を発揮した戸田が会長になるのはもっと後になり、今のような創価学会はなかったかもしれません。 そういう意味では、特高警察のおかげで今の創価学会があるのかもしれませんね。

miharaseihyouさんのコメント
政教分離の原則に違反しているのではないかと言っているのです。 公明党と創価学会の関係は賭博行為とパチンコの関係に似ている。 実質的に非合法な法の抜け穴を狙った拡大路線で権力を得ている公明党が創価学会の紐付きだって事はみんな知っています。

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