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後金と蒙古族の関係を知りたいです。後金が建国したとき、モンゴル高原の人たちにとっては大ハーンこそがほんらいは主君だと思いますが、どういう立ち位置をとったのでしょうか。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号

シルクロードの諸民族は氏族を基本単位にしています。
主君とかは、実績を上げれば認めてもらえますが、親の代からと言うだけでは軽くあしらわれます。

乾燥地帯で生存条件の厳しい地方です。
生きていくだけでも苦労は絶えません。
軍勢を揃えるには相応の見返りがなければ難しいのです。


匿名質問者さんのコメント
有難うございました。 ハーンと名乗ったので、モンゴルのハーンの地位を名乗った(勝手に?)なのか、と思いましたけれど、中国の北方の民族は、明から独立しているという意識の場合、 みんなハーンと名乗っていたみたいなのかなと、考え直しました。 >ヌルハチは、1616年にはホトアラで即位式を挙行し、 >ゲンギエン・ハーン(英明なる君主の意)の尊号を受けた。

匿名質問者さんのコメント
ご指摘をうけ、当方、改めて整理して考えたいと思いました。
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