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楽譜を演奏するというのは、どういう意味があるのでしょう?その楽譜の演奏者はなぜその人でなくてはいけないのでしょうか?主に、クラシックピアノ、オーケストラ、吹奏楽系のガッチリ譜面を読み込むタイプの人から見た視点でお願いします

●質問者: tenku
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 書籍・音楽・映画
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 13/13件

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1 ● snow0214
●39ポイント

音楽を表現するということです。

楽譜には音程やテンポ、強弱の指定はありますが、記譜された作曲家の想いを音楽という実体に表現して観客に伝えるのが演奏家の役割です。

また、ブラバンやフルオケの場合、観客に演じるまでに指揮者が一定レベルの表現力を求めるので、その水準に満たなければトラを呼ぶことになります。


tenkuさんのコメント
コメントありがとうございます。 トラについてはわかりした。ありがとうございました。 >楽譜には音程やテンポ、強弱の指定はありますが、記譜された作曲家の想いを音楽という実体に表現して観客に伝えるのが演奏家の役割です。 難しい質問を返してしまうのですが、なぜ記憶された作曲家の思いが分かるようになるのでしょうか? よろしくお願いします

nazeka2014さんのコメント
書かれた際の時代背景を知るのが良いのでは?

snow0214さんのコメント
>なぜ記憶された作曲家の思いが分かるようになるのでしょうか? 楽譜を見るだけで音楽をイメージできる観客は少ないので、それを実体(音)として表現することで観客に伝えるのが演奏家の役割です。 もちろん、実体に変換する際に、演奏家が楽譜を「解釈」する行為が入ります。その解釈のやり方が、観客を魅了することもあります。 さらには、譜面に忠実でありながら、最新の録音・映像技術による表現を巧みに利用し、ライブ演奏を知らない顧客層をも取り込んだのがカラヤンでした。カラヤンは楽団員に高い技術力を要求しましたが、その人心掌握術にも長けていました。 プロのオーケストラでトラを呼ぶのは、技術より人数あわせのことが多いです。 地方オケだと楽団員が少ないため、モーツァルトはできてもマーラーは演奏できないということがあります。 また、日本公演と同時期に本国公演をやっている海外オケの場合、来日している多くの団員がトラだったりします。

2 ● kanonk
●39ポイント

クラシックなどは楽譜に込められたメッセージを再現することで幸福感を得ているんだと思いますよ。

古い絵画を鑑賞するのに似ていると個人的には思っています。
過去に作られた作品を演奏、鑑賞することを目的に楽譜は存在しています。
その再現方法には演奏家によって個性が出ますがそれが芸術の表現だと思います。


tenkuさんのコメント
コメントありがとうございます。 楽譜を見るだけで、楽譜にこめられたメッセージを再現することが出来ますか?楽譜の情報量が少ないものは難しい気もします。 >過去に作られた作品を演奏、鑑賞する kanonk さんにとって楽譜を鑑賞するとはなんでしょう? 確かに、録音がない時代は、楽譜は重要でした。矛盾してるかもれませんが、録音された音源が聞ける現在楽譜はどれくらい重要でしょうか?

kanonkさんのコメント
楽譜の情報量が少ないからこそそこに想像力が働き楽しめるのだと思います。 例えば、小説とテレビににてるかも。 活字で少女が一人立っていると書かれていると、読み手によって年齢、髪の長さ、顔、服装などなど想像させられます。 しかし、テレビで少女がたっていると全て確定されてしまいます。 その想像力を楽しむ事が出来るのも楽譜のいいところでしょうね。 録音物の音源ではできませんから。

3 ● きょ
●39ポイント

楽譜を演奏するということは、文学を声に出して読むことに近いと思います。目で読んだだけでは読み手ひとりの脳内の世界ですが、声に出すことによって他者とその世界を共有することが出来ます。

奏者は、「その人」でなければならないということはないと思います。楽譜には誰それに弾いて欲しいという指定はありませんし、もし有ったとしても何十年か経れば意味がなくなるでしょう。

一方、聴き手にとっては、「その人」でなければならないこともあります。それは、物語の朗読を聴くのに似ています。市原悦子がいいのか、美輪明宏がいいのか、所ジョージがいいのか。読まれる物語は一字一句同じでも、生み出される音世界は違ってきますよね。


tenkuさんのコメント
コメントありがとうございます。 たしかにそのとおりかもしれません。きょさんの「聞き手として」、「その人でなければならない理由」というのを詳しくお伺いしたいです

tenkuさんのコメント
後もう一つ、久石譲や坂本龍一が自分の曲を演奏するのと、(アマチュアを含めた)ピアノ弾きが彼らの曲の演奏をするのと何が違うのでしょうか?

きょさんのコメント
私自身は聴き手として、その人でなければならないとはほとんど思ったことが無いです。この人はこの曲をどう聴かせてくれるかな?という姿勢で聴くことがほとんどですから。ただ、あの人のは聴きたくないな、ということは有ります。単純にヘタだったり、光るものがなかったり、心が感じられなかったりなどが理由ですが、例えばガーシュインの曲ならアメリカの、それもシカゴやニューヨークのオケがいいです。北京のオケではどんな風になるのがなって興味は有りますが、そういうのは純粋な音楽の楽しみではないように思います。 2つ目のご質問ですけど、人はみな違います。専門家と趣味の人、または、作者本人と他人の違いも含め、人はみな違いますから表現されるものも全て違います。たとえ作曲者本人でも、昨日の久石と明日の久石は違います。生身の人の演奏というものはそういうものです。 また、オーケストラなどの大編成の音楽を作曲者自身が一人で全部演奏することは、打ち込みでない限り不可能です。かならず他人の手に委ねることになります。その設計図が楽譜ですね。 朗読の喩えで言いますと、その言語にあまり精通してない人や、滑舌の悪い人、イタい芝居を交えてきて気持ち悪い人、心ここにないような人など、聞くに堪えない朗読もあるでしょう。そこまで極端ではなくても、物語の内容にしっくり来る声や表現というのがあるでしょう。老若男女の四種類でも違うのは明らかですね。では創った本人が読むのが一番良いかというと、そうとは限らないでしょうね。

4 ● なぽりん
●39ポイント

「道具や譜面に命を吹き込むってことじゃないでしょうか。」


わたしもボカロやシンセの話かとおもってたら、
コメントでトラというワードがでたので。

ヘタの横好きへのプロの手伝いをどこまで許すかということかな。
ヘタでも、いいぐあいのヘタレベルの人が
ちょうどよくあつまるとパワフルな演奏ってことになったりするけど、
一人だけ上手かったり一人だけヘタだったりするとまとまりがなくなって
一緒にやらないほうがお互いにとってマシだってなったりするとおもう。
そういう「音楽性の違い」で解散するバンドも多いですよね。

一人だけ上手い人に余裕があればヘタな人を生かした演奏もしてあげられるし、
それがそこそこ観客からみて面白い場合もあるでしょうが、
それは上手い人にとっては「手助け」「人だすけ」にすぎないので、
手応えも少ないし自分のやりたい練習でもない。
お互いを好きで、お互いの情熱をうまく伸ばせる
(そのときに自分には「客観的には負担が大きい」ことでも負担に感じない)
ようでないと手助けはうまくいかないですよ。
突出して上手い人は上手い自分でいるだけでもいろんなコスト(心理的、時間的、経済的)が必要なので
上手い人に報いる手段として「謝金」が使えるだけでも貨幣経済はまだ便利なほうだ。

ただ技術を蓄えた上手い人は若い人の盲目的な情熱とかがすごく好きなこともある。
そういうエネルギーに道筋をつけるのは自分にとっては苦にならないという
ちょっと変わったタイプの表現者もたまにはいる。
お金にできない報酬として、「エネルギーをもらった」という月並みだがなかなか意味深い表現がある。
社交辞令でなくエネルギーを与えられたのなら誇って良い。
そういう意思はお互いに尊重すればいいとおもう。

って言いたいこと通じるといいなあ。


tenkuさんのコメント
もう少し深く考えていきたいです。演奏によって道具や譜面に命を吹き込むことがなぜできるのでしょう?

5 ● ふるるP
●39ポイント

一期一会というのもあるでしょう。
時間は戻らない。だから今の一瞬を大切にしよう、ということがあります。
音楽とは日常から切り取られた時間です。生演奏を至上とする考えは諸手を挙げて賛成できるものではないかもしれませんが、演奏しているその瞬間が大事というのはひとつの重要な要素かと。


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