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日本歴史を見ると、古代、百済やシラギが日本に朝貢したそうです。本当かどうかわかりませんが、そのとき、向こうが持ってきた外交文書は、日本語だったのですか(朝貢するくらいなら、日本の言葉にするかな、と思いました)。中国語だったのではないか、と思うのです。また、宛名は、日本国王でしょうか、日本天皇でしょうか。当時、日本国王を名乗る人はいなかったと思うのですが。
渤海も日本に朝貢したそうですが、外交文書は、何語だったのでしょうか。やっぱり中国語だと思うのですが。渤海国王として日本国王への外交文書でしょうか。当時、日本国王はいなかったと思うのですが。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● 匿名回答1号

朝貢関係かどうかはかなり曖昧ですし、そもそも、文書じゃなくて、特使として人を派遣することで意味は通じるでしょう。そのときのことばが何語かははなはだ疑問ですが、文書が残っていないだけに「不明」なんでしょうね。
まわりまわって、朝貢関係を証明するものがない。というこなんだと思いますが。


2 ● 匿名回答3号

外交文書は、当時の中国語、漢文ですね。
ちなみに日本国内の朝廷の正式文書はずっと漢文です。

宛名も天皇号を使用してからは、天皇でしょう。
形式的にせよ朝貢しているのに「国王」だと、突っぱねられるでしょう。


3 ● 匿名回答2号

一つ指摘するべきなのは、日本国王を名乗っても意味は無いと言うことです。
当時の事情では実質的に支配している体制を中華王朝が「王」の称号を使って「箔付け」したってことです。
金印とか知られていますね。
あれは一つだけじゃないんじゃないかって憶測もある。

「遠交近攻」ってやつで、近くは、特に被害にあったのは中原に近い地域ですが、攻め滅ぼして骨までしゃぶり尽くし、遠くは・・貢ぎ物には三倍返しで、王朝の領土の近くにあって攻めようとしている国を助けないように賄賂として贈ったわけです。

チベットとかベトナム、朝鮮半島などなど、幾つもの国が攻め滅ぼされ、幾つもの民族が滅亡しています。
日本は中原から遠かったし、海を隔てていましたから安全だったんですね。
技術的に長距離大量輸送が困難だった時代には・・ですけど。

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