人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

地方区分で、東海道とか東山道とか山陰道とか南海道・・・、と区分していましたが、これは、中国の影響ですか。
朝鮮半島も、平安道とか全羅道とか(今は、全羅南道や全羅北道と分けています)に分けていますね。

しかし、中国は昔、分けていたんでしょうか。あまり、聞かないのですけれど。


●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

中国の影響があります。

そもそも東海道や山陰道は五畿七道(明治時代より五畿八道)という律令制なのですが、これは元々、中国で使われていた行政区分の「道」という制度に倣った物です。
最初は日本全国を、都(平城京・平安京)周辺を「畿内五国」、それ以外の地域を「七道」に区分したものでした。

現在日本では

の8つです。


匿名質問者さんのコメント
有難うございました。中国では、そうとう昔に使っていたのですね。 日本では、北海道が新しいのですね。 西海道として、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B5%B7%E9%81%93を見ました。 鹿児島県の奄美大島と付随する島(琉球王朝から、薩摩藩が割譲を受けた)ものは、 西海道にも属さず、現在に至っているみたいなのでしょうか。 沖縄県も、明治時代よりの五畿八道にも属していないのですね。

匿名回答1号さんのコメント
そうですね。沖縄県は元は琉球王国として当時は独立した形でしたが、1871年に廃藩置県によって「琉球王国は鹿児島県の管轄」となっていました。明治は先述通り五畿七道を律令した年代で、しかもそれは1869年と「琉球王国が鹿児島県の管轄になる2年前」に制令しているので、道に入らなかったのでしょうね。 今の沖縄県という名称も1879年と、五畿七道制令の10年後に決まっています。

匿名質問者さんのコメント
ありがといございます。 明治時代の五畿八道は、1869年9月ですね。これは蝦夷地を組み入れることのために行ったのでしょうか。 奄美大島も、琉球も、1869年9月でも、つまり、五畿八道には入れていなかったのですね。 明治新政府は、どういうふうに考えていたんでしょう、内部では議論があったのかもしれないですね。

匿名回答1号さんのコメント
>> 明治時代の五畿八道は、1869年9月ですね。これは蝦夷地を組み入れることのために行ったのでしょうか。 << これについては自分もよくわからないのですが、北海道という名称は戊辰戦争後に太政官布告によって付けられたものでその名称も「五畿七道」にある東海道や南海道、西海道を踏襲して北海道としたそうですので、意図的に付けたのでしょうね。 蝦夷地は他にも「北蝦夷地」と呼ばれる場所が「樺太」と変更されています。元々蝦夷地は「アイヌ人の住む地」を指していた言葉ですので、もしかしたら蝦夷地を日本が占領する、みたいな意味合いもかねて「北海道」にしたのかもしれないですね。
関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ