非寛容から寛容へ ? 相異点より共通点を求める ?
ハンムラビ法典、タルムード律法、カトリック教会法、イスラム法、
カルト(オウムなど)などは、古い戒律を権力抗争の口実にしがちです
(国連の人権条約は、つねに最終アップデートをめざしています)。
日本国民の人権は、近代的な憲法(六法)によって保護されています。
自治体条例、校則、社則とか、社訓や家訓なども人々を制約します。
現に、はてなにも規約があり、やたら厳守したがるユーザーもいます。
すべての教義が、諸民族の憲法(独立宣言)と一致するわけがなく、
どこまで矛盾を容認するかによって、寛容と非寛容の割合が異なります。
国際的な歴史的な傾向は、集団から個人の尊重に向っています。
生まれたばかりの子供に、特別な儀式(割礼など)を強制するのは、
いちじるしく憲法に違反するはずです。すくなくとも、成人してから、
本人の意志で解約・離脱できる範囲でなければなりません。
わたしは無神論者ですが、プロテスタント系の私立一貫校に学んで、
恩師や親友に聖職者がいます。冗談に“臨終改宗”するとき国際電話で
受洗できるか、と訊ねたら「水を使うから難しい」と断わられました。
旧式の集団で、しきたりや伝統を主張しても、国家の定める法体系に
そぐわなければ、罪と罰で裁かれ、どの国籍を得たかで峻別されます。
まずは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の違いを学びましょう。
http://okwave.jp/qa/q6761776.html(No.2 20110525 06:45)
ユダヤ教の民俗学 ? 古代・中世・近代・現代 ?
http://okwave.jp/qa/q2006802.html(No.9 20060305 17:50)
三教三巴 ? 近似するほど対立が深まる ?
http://okwave.jp/qa/q6754517.html(No.7-8 20110523 03:57-05:24
三教の聖都 ? 神殿の跡・処刑の地・昇天の地 ?
…… 墓碑はなく「死亡診断書」もない。この時代には「出生証明書」
もないが、教会の「洗礼名簿」によって出生日を推定する。
…… 新生児の死亡率が極度に高かったため、重刑に処せられる危険を
おかしてまで、十日以上も洗礼を施さずにいたはずはなく(牛島 信明)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920423 四月二十三日の忌譚
…… 単に現象面にあらわれた相異だけを列挙するならば クツとゲタ
だってそうだし 洋服と和服はちがったものになるのです。こうした例
はそれこそ無限にあげることも可能です。しかし考えの筋道や発達の
過程において本質的な傾向はまったく同一である場合が多い。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691009 一聴一席?Way of Thinking
きちんとした議論についても、もちろん必要だと思います。それぞれに教義にさかのぼって考えること、また、日本における信教の自由と照らして考えてみることなど。
もうひとつは、きちんとした議論で、険悪な空気になるより、最初から、避けたほうがよいとも思っています。宗教と宗教、宗派と宗派の間柄もあると思っています。信仰上の相性というのでしょうか。信仰を曖昧に終わらそうというようで申し訳ないですけど。仏教どうしでも、戦前は、地方によっては、結構、宗派が違うと難しかったようですが、真宗は日蓮宗とは✖とか。いまはあまり気にしません。もめたくないですし、
「洗礼の頃合い」というキーワードでWEB検索してみました。カトリックの方で日曜礼拝に四歳児と一緒に行っているお母さんからの質問がありました。
◆子供の洗礼について質問です(カトリック) 現在洗礼の為の勉強会と教会に通いだし... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1227200617
まだそのお子さんは洗礼をうけておらず、この歳で出来るかどうかという質問内容で、回答は「神父様にご相談の上ですが、出来ると思います」とのこと。また、母子同時洗礼もあるとの回答がありました。
よほどの理由が無い限り、ある程度の年齢まで待ってもよいのではないでしょうか?
日頃お世話になっている教会があるのでしたら、そちらでご質問されたほうが良いかと思います。
ご夫婦のどちらかのご親族が熱心なキリスト者の方ばかりで、もう片方のご親族は無関心か無宗教、宗教拒否者である場合は、親族での相談も必要になるでしょう。
お子さんがご自身の意思をしっかりと言える10代後半?20代になって、信仰が固まっているならその時でも良いのではと個人的に思います。親族へも「本人の意思が固まっていますし」と言うことができますから。
よくわからない新興宗教なら不審に思う方もいるでしょうけれども、質問者さんが上げた宗派であれば特に問題ないかと個人的に思います。
id:Kaoru_A
別に根の深い問題でもなければ、受ける事自体で揉める事もありませんよ。親が信者であるならば、誕生した子供に幼児洗礼を受けさせる教派が多いと思います。受洗に対する解釈が同一である場合は、教派を移動する場合であっても再洗礼などは必要ないようです。
一方で、信者になる事の意味を十分理解した者だけを教会に受け入れるべきとする教派も存在しますし、受洗の形式(滴礼、灌礼、浸礼など)そのものが異なる教派も存在します。この場合、過去に受けた洗礼は無効との考えから、入信時に再洗礼が必要となる場合もあるようですが、それはあくまで教会と信者間の手続き上の問題なのであって、揉める要素は一片も無いと言えます。
揉める要素があるとすれば、両親がそれぞれ受洗に対する解釈の異なる教派に属している場合なのでしょうが、そういうケースはあったとしても稀でしょう。
No3です。読み返してみるとキリスト教の視点しか書いてなかったので、もう少し解説を加えます。
洗礼を日本の宗教に置き換えると、どのような行為に当たるのかを考えました。たぶん、仏教における戒名みたいな位置づけになるのかと思います。戒名を授かる事を受戒と呼ぶようで、洗礼を受洗と呼ぶのに似ていますし、どちらも宗教的な救いに関係しているという共通点があるように思われるからです。日本人は基本的に宗教に対しては寛容な傾向がありますし、クリスマスを祝う事でさえ毛嫌いするような人でもない限り、洗礼自体に批判的であるという事は考えにくいように思います。ですから、もしその点で摩擦があるとすれば、子供の祖父が神主とか僧侶とかそうした特殊な環境の、しかもクリスマスでさえ否定するような一部の家庭のみなのではないかと。
また、「信者になる事の意味を十分理解した者だけを教会に受け入れるべきとする教派」ですが、これはつまり、思考力のない幼児に洗礼を施すという幼児洗礼そのものが無意味、と位置づけ退けているので、この件に関しては他宗教との摩擦はそもそも発生しません。知る限りでは、バプテスト派(イギリスの清教徒革命、つまり聖公会より派生)やアナバプテスト派(カルヴァン派より派生)とその流れを汲む教派にみられるくらいなので、キリスト教全体として考えるならば、どうしても幼児洗礼が多数派という事になります。
それから、保守的で敬虔な人ほど教派にこだわりを持つ傾向があるのに対し、そうではない、リベラルな考えの持ち主の中には、どこの教会に通うのかをその雰囲気で選ぶという、教派の違いにあまり抵抗を感じないような人さえいるようです。つまり、「両親がそれぞれ受洗に対する解釈の異なる教派に属している場合」において摩擦が発生するのであれば、実際には、夫婦が共に敬虔で、週末にはそれぞれ自らの所属する別々の教会に通っているという、通常では考えられないような極めて特殊な状況が発生している事になります。であるならば、それはすでに家庭の崩壊カウントダウンの状態にある末期的症状、と言っても過言ではなく、問題の本質は幼児洗礼とはかけ離れた位置にあるのだろうと思います。この場合において、結婚前から教派が異なっていたのであれば、その結婚そのものが間違っていたのであろうし、結婚後に夫婦の一方が宗旨替えしたのであれば、信教の自由とも絡む、どちらを悪とも決めかねる複雑な問題となります。夫婦のどちらか片方だけでもリベラルな考えの持ち主であるならば、所属教派が異なっていたとしても週末に通うのは同じ教会になるはずなので、洗礼に対してもその通っている教会の方針に従う事になるでしょう。
ちなみに、灌礼という恐らく聞きなれないであろう洗礼形式についてですが、大量の水を頭からザバーっとかけ流す形で行われます。軍師官兵衛の先々週あたりの放送にあった、官兵衛の洗礼シーンがちょうどこれにあたりそうですね。最も一般的な形式であるとされる滴礼は、指先を水に浸し、その濡れた指で水滴を弾き飛ばすようにして受洗者に水を降りかけるような形式を指します。当然ながら、幼児洗礼も滴礼で行われる事が多く、そこに危険性は無いように思われます。
ここで1つの疑問が発生すると思うのですが、匿名回答1号さんが国際電話で質問されたという相手は、このどちらにも属さない、浸礼式を採用している教派の方なのでしょう。浸礼式では体全体を完全に水没させる必要がありますので、そうした前提で考えるならば、洗礼を施さないという結論になることもあるのだろう、との説明が可能となります。浸礼式を採用している点ではバプテスト派が有名ですが、先に説明したとおり、この教派は幼児洗礼を行いません。一方で、正教会では幼児洗礼+浸礼という形式が採用されているらしいのですが、そこでも危険はないと説明されていました。実際に危険性があるのであれば、一応大きな組織です、事故例の1件や2件、毎年のように報告されていてもおかしくはないと思うのですが、そうした報告はちょっと見当たらない…というか実際には探すのすら大変そうです。幼児洗礼と危険性、死亡などのキーワードで探しても、洗礼を受けさせないうちに幼児が死亡してしまった場合において、キリスト教における救済を得損なう危険性について語るもの(つまり不敬虔な親への警告)ばかりがヒットしますので…その多くが滴礼式幼児洗礼を施す教会なのでしょうけどもね。