「難しく考える思考」というのがどういうものなのかよくわからないんだけど、難しく考える事自体をやめたいのであれば、何か夢中になれるものを1つ見つける事じゃね?どうも質問の傾向が、最近荒らし質問繰り返してる人の傾向によく似てるように思うのよ。疑問というのは基本的に自分で調べて解決するもので、どうしてもわからなかったらその時はじめて質問すればいい。そうでないといつまで経っても知識が自分の身につかないし、真実を見極める目も磨かれない。「簡単な常識のような問題を間違えたりする」というのはそうしたあたりに問題があるように思うんだけどもよ。
オッカムの剃刀と言う言葉があります。
まず
「世の中はバカばっかりだから丁寧に説明してやろう。自分の普段のペースで歩くのではなく半歩ずつ、1/2の速度で考えてみよう。」という考え方をしてみる。
言語というプロトコルはすべてを搭載できる(してきた)のですが、暗号化と復号は、かなりゆっくりなのです。ですので、間をすっとばしてはいけません。現実という迷路はいくらでも分岐し得るので。
後は経験です。自分の思考のどこが1足飛びだったかは経験、すりあわせでわかるでしょう。
逆に、専門分野のプロにかかると思考速度は3足飛びくらい早くみえたりすることもあります
(営業マンとかは相手のふところ状態の解析はめっちゃ早いですね、そういうのを知恵というんです)、
すべてにおいて自分が最速というわけではないとか、
わからないふりをしたほうがよい結果になる局面とか、
いままで余計におもえたことも意味が理解できてくると
また一段スムーズなプロトコルが使えるようになります。