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我々は自分の知らないことや知っていることと反対のことを提示されると、反論あるいは否定したくなります。「アポロの月着陸があったか、なかったか」、「放射性物質による食品汚染が体に悪い、悪くない」など、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている命題であっても、「いったいどっちが正しいのか、じっくり考えよう」という態度が生まれません。どうしてでしょうか。仮説を提示してください。(回答は、仮説をお願いします。)あるいは、反論の罠(議論を深めないで反論、無視する罠)を乗り越えて、知識を深める・検証するためのアイデアを示してください。(回答は、アイデアや提案をお願いします。)

●質問者: ShinRai
●カテゴリ:学習・教育 科学・統計資料
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 10/10件

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1 ● ラフティング
●10ポイント

反論されると、説得や説明をしがちですが、実は「そのまま受け入れる」という行為が一番効果的なのです。

相手の反論を柔らかく受け入れるので、これをクッション話法といいます。

まずは、相手の反論や反対を受け入れ(クッション話法)、そしてあなたが次に話す言葉の接続詞としてイエスアンド話法があるのです。

具体的な接続詞としては、「実は」、「そして」、「したがいまして」です。

例題でみてみましょう。例 Aさん「おたくのネット回線は他社に比べると高いですよ。」Bさん「はい。確かに他社さんに比べると高くなっております。しかし、年間のランニングコストをとても安く抑えることができるのです。」

いかがでしょうか。何だかAさんの話しはBさんに受け入れてもらえなかった感じがしませんか?それでは接続詞を変えてみましょう。

例 Aさん「おたくのネット回線は他社に比べると高いですよ。」Bさん「はい。確かに他社さんに比べると高くなっております。実は、年間のランニングコストをとても安く抑えることができるのです。」

いかがでしょうか。文法上、少し違和感を感じるかもしれませんが、実際に話してみると意外と気にならないものです。
http://www.standby7.net/11.html


2 ● Lhankor_Mhy
●10ポイント

長いですよ。

コミュニケーションの問題についてどちらの責任などとするのはあまりよい考え方ではないですが、送信側が工夫することによって回避できるトラブルもあるかと思います。
少し話がずれるかもしれませんが、サイエンスコミュニケーションの問題とよく似ているように思います。

(仮説)

確証バイアスによるバックファイア効果かと思います。

3つめの、そして間違いなく最も強力なバックファイアー効果は、人々の世界観や文化的アイデンティティの感覚とを結びつい話題で起きる。いくつかの認知のプロセスで、人々は無意識にバイアスのかかった方法で情報を処理することがある。自分たちの見方に強固に固執している場合、対抗議論に直面すると、その見方を強化してしまうことがある。
この効果に寄与する一つの認知プロセスは、人々が自分たちの見方を支持する情報を選択的に探し出す、確証バイアスである。ある実験では、被験者たちは、銃規制や差別撤廃措置のようなホットボタンな問題についての情報を提示された。各情報は情報源が書かれていて、その情報が賛成か反対か(たとえば全米ライフル協会 vs 銃規制運動)明確にわかるようになっていた。両者を公平に提示したにもかかわらず、被験者たちは自分が元々持っている見方に合う情報源を選択した。この研究で、公平な形で情報を提示されても、人々は既に正しいと考えている情報に傾くことで、元々持っている見方を強化する。自分たちの見方を強く持っている人々の間で二極化が強く起きることがわかった。
もし、選択の要素を取り除いて、誰かに世界観に反する論を提示したら、どうなるだろうか? この場合、前面に出てくる認知プロセスは、反証バイアスすなわち、確証バイアスの裏面である。この場合、人々は非常に多くの時間を費やして、対抗議論に積極的に反論を考える。

忘却からの帰還 創造論/ID論 [旧サイト] - バックファイアー効果

(アイデアや提案)

いわゆる「欠如モデル」というものが解決のヒントになるかと思います。

誤情報についてのよくある誤解は、誤情報の影響の除去は、人々の頭に情報を詰め込めばいいというものだ。このアプローチは、大衆の誤解が知識不足によるものであると仮定し、その解決策はサイエンスコミュニケーションにおける、より多くの情報だというものである。これは「情報の欠如モデル」として知られている。しかし、このモデルは間違っている。ハードディスクにデータをダウンロードするように、人々は情報を処理しているわけではない。

忘却からの帰還 創造論/ID論 [旧サイト] - バックファイアー効果

科学技術社会論・科学コミュニケーションと呼ばれる学問分野がありますが、そこでは「知識の欠如を埋めれば、人々は抵抗感を示していた科学技術を受け入れる」という科学者がやりがちなパターンを「欠如モデル」と言います。
「知識」未満のフワッとした話をしながら、「とにかく大丈夫」と言い続ければ理解を得られるだろうという態度があったのは、「欠如モデル」のものすごくダメなパターンだったと言えます。 当然「適切な反応」などにはつながらない、逆効果でした。

【最終回】もはやメディアの「両論併記」型は、百害あって一利なし!|俗流フクシマ論批判|開沼博|cakes(ケイクス)

人々は自分たちにとって重要だという価値に基づいて行動うるので、自分たちにとって良いことだと感じるときについて短文を書かせることで、自己肯定は実現可能である。そうすると、人々は自分たちの世界観を脅かすかもいれないメッセージを、自己肯定なしにメッセージを受けた人々より、受容しやすくなる。興味深いことに、自己肯定効果は、自己価値の感覚でイデオロギーが中心となっている人々に最も強く出る。

情報を受け入れやすくするもうひとつの方法は、個人の世界観をより脅かさない形のフレーミングを行うことである。たとえば、共和党支持者は「税金」としてより「カーボンオフセット」として同額を課金する方を受け入れやすい。このような言葉使いは、民主党支持者や無党派にはあまり効かない。というのは「税金」という単語が民主党支持者や無党派の世界観を脅かしていないからだ。

忘却からの帰還 創造論/ID論 [旧サイト] - バックファイアー効果

つまり、送信側が「ただ正しい情報を伝える」だけだと、欠如モデルの欠点であるバックファイア効果を呼び起こしかねないということです。
私は「と学会」について、ニセ科学や陰謀論の存在を世に知らせた功績を高く評価しています。しかし一方でバックファイア効果により「帰ってこれない場所」まで行ってしまったトンデモさんも数多くいると思われ、これは「と学会」の罪だろうなあ、と思っています。

さて、欠如モデルを理解し、バックファイア効果を呼ばないようにと注意していくと陥りがちなものに、相対主義があります。

知識・良識がある人が、知識・良識があるからこそ、色々なバランスを気にしすぎて、歯切れ悪く「それぞれの判断を尊重して判断・行動していくべきだと思います」という場合もあります。
いずれにせよ、「こういう人もいれば、逆の人もいる」「それぞれの判断を尊重して」というのは便利な言い回しです。
これは相対主義的なもの言いだと言ってよいでしょう。「Aという考えも、Bという考えも、Cという考えも尊重されるべき」というのが相対主義です。 逆に、絶対主義は「Aという考えのみが尊重されるべき。BやCの考えは許容されない」というものです。
「それぞれの判断を尊重して」というのは前者です。
そして、これからは、「科学的な前提にもとづく限定的な相対主義」に移行すべきです。
「限定的な相対主義」というのは、絶対主義のようにほかの可能性をはじめから排除するようなことはしないが、明確にわかってきていることは前提におきながら議論の精査をすることです。
なんの精査もせずに「Aという考えも、Bという考えも、Cという考えも尊重されるべき」と言い続ける時期ではありません。

【最終回】もはやメディアの「両論併記」型は、百害あって一利なし!|俗流フクシマ論批判|開沼博|cakes(ケイクス)

味噌の味の話をしてる時に、「やはり八丁味噌が一番だ」などという相手の世界観を壊す事を恐れて「味噌もクソも一緒」みたいな結論をしても仕方がありません。とりあえず前提として「どうやら、味噌とクソは別物と考えてよさそうだ」という、ある程度土台と出来るような蓋然性が高い前提をひとつひとつ積み上げていく、そういう作業が必要になるのではないでしょうか。


3 ● たけじん
●10ポイント

人の話を聞いてないから。
です。
提示した証拠を認めない、という時点で「どちらが本当か検討していないなこいつ」になるわけです。以降そのような努力は無駄とわかる。
したがって、歩み寄る余地はなくなり、相互の主張する陣地へ相互に引きずり込む方法しか提示できなくなります。
「レーザ反射板」を鼻から認めていない、という点で、歩み寄る余地がなくなっていることに気付かないのか、気づこうとしないのか、あえて避けるのか。どちらの態度に問題があるのか「冷静に判断していただきたい」


4 ● なぽりん
●10ポイント

「「アポロの月着陸があったか、なかったか」、「放射性物質による食品汚染が体に悪い、悪くない」など、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている命題であっても、「いったいどっちが正しいのか、じっくり考えよう」という態度が生まれません。どうしてでしょうか。」

今までアポロ質問をくりかえしてらっしゃいましたが、私はスルーしてきました(ご質問の前提にあるような反論も否定もしませんでしたよね、そういう人ほかにもいっぱいいます)。
自分にわかる問題はなるべく答えるようにしている私が、どうしてアポロに回答しなかったかというと、
なぽりんの中でも世間でも一応の解決がついているところにあらためてひっかかり治すことをしんらいさんがお望みなんだなと思えたからです。そういう場合は「説得」「折伏」などしたくない。いくらでも悩めばよろしい、ただし私には関係がないだけ。
「たしか証拠はアレとアレがあったしここにいけばもっと詳しいことを知ることができる。
じゃあ今のところそこまで考えておけば自分が社会生活を送るには十分だろう。」
と私は思っています。
もしいちいち「反論」「否定」をしていれば3歳児?30歳児の「なぜなぜ攻撃」につきあっているうちに自分の人生が終わってしまいます。私の学生時代=「じっくり考える」時間は終わったのです。今は私の「生産する時間」です。反論だとか否定だとかいうことじゃないんです。いわば無視、放置、構わないだけです。

人間は、一人で万能ではありません。
ネットも万能ではありません。
文化というものは、人間の知見の集合体を指して言うわけですが、
それは一人で開拓しなくてよいものです。
私たちはのべ何百億人と生きてきた人間たちのつみかさねた知見の塊の一番外側の最前線に立ってるだけなのですから。

もうすこし言うと、どんな大学の研究者でもそのつみかさねをほんの数百億分の1くらい外側にひろげて人生を終えてしまいます。一人でサイエンスに載るような論文の数報、githabの数百件もエントリできればその人は「よく働いた人生だった」と自賛できるでしょう。
わたしにはとてもそんなすばらしい研究はできません。でも専門家の研究の成果は尊重していますし教育を受けているのである程度、真偽は判断できます。

ですのでアポロの件も原子力の件も、情報を正しく扱う研究者+政府にまかせて検証済みとして日常を営んでいます。不安を煽られるための情報を摂取する時間は無駄です。(とはいえ汚染水放流、同性愛反対デモあたりは予断を許しませんので従来の日常ニュースとおなじ程度にチラ見してはいますが)
検査済みですから安心して日本のお米もお魚も食べてますしそのせいで110歳くらいになればどうやったって死ぬしかないでしょう。私には不都合はありません。


なぽりんさんのコメント
https://twitter.com/ynabe39/status/577921546288676865 https://twitter.com/ynabe39/status/577922310679621633 の意見に同意。

5 ● deep_one
●10ポイント

連続する質問の流れをみるに、「議論しよう」ではなく「否定しよう」としているからでしょう。

インパクトを与えるために「通常正解とされることの否定から入る」という手法はありますが、その手法をとっているなら「過剰な反応がある」事は想定すべきです。

そもそも「通常正解とされている事柄」について「正解であるとする根拠」は誰からでもいくらでも出てくるので、圧倒的な反論を受けることになるのは自明です。


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