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adgt ●72ポイント ベストアンサー |
「幸せになろう」と頑張ることは、はじめから矛盾を含んでいると思うようになりました。
なぜなら、「幸せ」は「感じる」ものであって、手に入れてズッと抱えておけるモノではないからです。質問者さんも言われているように、「安全な世界に生きられてラッキー」と思うときもあれば、「少しのことでグラついてしまう自分は駄目なやつだな」と落ち込むときもあります。
すべてのことは日々変わってしまいます。それと同じように、感情も常に形を変えて、良いときもあれば悪いときもあります。絶対的な幸せもなければ、絶対的な不幸もないというように私は考えます。きっと、それは健康に生きてるお猿さんもそうなのだと思います。彼らだって、恐怖におののいたり、毎日変わらない暮らしを退屈に思うことだってあるのではないでしょうか?
時おり「幸せだな」とか、「楽しいな」って感じられることがあれば、それはそれで十分なのだと思います。まぁ、中々難しいことではあるのでしょうが。例えば、「楽しさに浸っていたら、それが失われたときに傷ついちゃうんじゃないか」とか「期待するとガッカリするから、ちょっとだけ始めから諦めておく」とか。
それでも、自分を無防備にすることだとしても、やさしさをそのまま受け取ったり、明日に期待したり、喜びを満喫したりできたら、とても味わい深い生活になるのだろうなと思います。
結論から言えば、つまらない日があるあなたの人生も、それはそれで既に立派に成立しているということだと思います。
生きることは最高の幸せであることは間違いのないことだと思いますが、どう生きるか、によって大きく違ってくるのだと。
たとえ就職したとしても毎日理不尽な要求にノルマ、そんな環境でストレスを溜め精神を病んで身体を壊した人を何人も知っています。
まるで仕事のために生きている?
と思えるような生活、、、これでは幸せでを感じることはできません。
食事ができる分だけ働いてあとは遊んで学んでとにかく楽しむ事が幸せなんじゃないでしょうか。
周りがどう見ていようが関係ないです。
一度の人生どう生きたかです。
目先の「現実」に集中できれいれば幸せだと思いますよ。
たまたま、昨日、はてなブックマークにマイケルジョーダンの話がでていたけど、「自己実現の欲求」云々の前に、目の前の現実に集中していればこそだなと感じた次第。
http://tabi-labo.com/102765/michael-jordan/
そもそも贅沢を人生の目標にしているのでしょうか?
もしそうなのであればそこをもうちょっと自分なりに分析してみてはいかがでしょうか?
私は世の中のことを色々学べば学ぶほど、
あなたのおっしゃる「暗いこと」はどんどん見えてくると思っています。
私は今でもそうです。
ちなみに私は大金をかけて贅沢することが嫌いです。
心のどこかでかけているお金のことが気になるからです。貧乏性ですね(笑)。
例えば天気の良い風の穏やかな日に海辺に立つだけで贅沢な気持ちになれますし、
安い食材で美味しい料理が作れただけでもものすごく贅沢な気持ちになれます。
混雑している通勤電車で運良く今日は座れた、これも私にとっては超贅沢です。
日常に潜む贅沢にアンテナを張ってきちんと言語化して確認する作業は
楽しいかもしれません。
正直、ご質問の真意がよく見えなかったのでこれは私の推察ですが、
要は毎日を楽しく暮らしたいのでしょうか?
それとも世の中の真理が知りたいのでしょうか?
世の中には幸せな人と不幸な人との間には越えられない壁があるのかどうかを知りたいのでしょうか?
ご質問の意図を明記すれば、もっと回答もしやすくなるかと思われます。
贅沢というのは 相対的なものなので、比較対象によりなんともなるものです。
とりあえず自分自身をよく知ることですね。
といっても これが なかなか難しいんですが。