人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

番組のごく一部・出典明記・「主と従」が明白なら、ニュース番組の動画引用は可能ですか?

今話題の報ステ「古館vs古賀」は、http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150328/p2で紹介してる動画などが既にテレ朝の申し立てで削除されています。それは、ただ番組の一部をそのままUPしてたから仕方ないと思いますが、例えば3分の引用に4分「感想」の喋りやテキストを付ければ番組の引用は「従」になり、引用元を明記などすれば著作権法上認められる「引用」になるのではないでしょうか?著作権の法律的解釈を教えてください。
ここは長文がかけないので、本論をhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150330/p1に書いています。

●質問者: gryphon
●カテゴリ:政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 7/7件

▽最新の回答へ

1 ● sibazyun
●15ポイント

わたしの解釈にすぎないが、
「1時間の報道番組の3分間だから一部分」のようにはならないとおもう。
該当のニュースが何分間つづいたかはしらないが、「6分間続いた該当のニュースの
3分間」では一部分ではなく、「6分間続いた該当のニュースの15秒間」ならOKではないだろうか。


gryphonさんのコメント
ありがとうございます。今回の古賀vs古館だと、全体はどこからどこまでか、という区切り方自体も難しくなるでしょうね

2 ● ラフティング
●15ポイント

よくあるように、著作権者が「一切の無断利用を禁ずる」とはしていないのでしょうか?
上記であれば、著作権者の「事前承諾」が兎にも角にも必要では?


practicalschemeさんのコメント
「正当な引用」は著作権者が何と言っていうようが可能です。いちいち許諾を得る必要もありません(「無断引用」という言い方がしばしば見られますが、引用は本来無断でしてよいものなのでおかしな言い方です)。これが禁じられると、発表されたものに対する自由な批評ができなくなってしまうからです。 ただ、引用について定めた著作権法32条に「公正な慣行に合致するもの」という条件があり、文章については慣行がわりとはっきりしているものの、映像についてはまだあまりはっきり言える基準がないのじゃないかと思います。もし著作権者が「これは公正な慣行から逸脱しているので引用ではない」と判断してアクションを起こせば、最終的には裁判所で決着をつけるしかありません。

gryphonさんのコメント
ありがとうございます。引用についてはそうですね

3 ● 燕雀安知鴻鵠之志
●14ポイント

例えば3分の引用に4分「感想」の喋りやテキストを付ければ番組の引用は「従」になり、引用元を明記などすれば著作権法上認められる「引用」になるのではないでしょうか?

著作権で引用を行う際に言われる主従と申しますのは文字数や時間の長さの長短ではございません。
3分の映像に感想をつけたという状況でございましたら感想の方が従でございます。
主従の関係が成立するには従の方が存在しなくても主の方が創作物として成立しておる必要があると存じます。


gryphonさんのコメント
ありがとうございます。 ただそうなると「感想」でなく「批評」だとなのればいいのか、その場合「質的に主か、従か」という議論はさらに難しいかもですね。 「ゾンビはこわいなあと思いました」と「現代社会における人間存在の不安感が、この命無き空ろな存在という暗喩によって表現され、戦慄を覚えずにはいられない」の差を、法的に区別できるのかどうか。

燕雀安知鴻鵠之志さんのコメント
>> 「ゾンビはこわいなあと思いました」と「現代社会における人間存在の不安感が、この命無き空ろな存在という暗喩によって表現され、戦慄を覚えずにはいられない」の差を、法的に区別できるのかどうか。 << 後者を批評の例とされておるのであればどちらも「従」とみなされると存じます。 例えば「現代社会における人間存在の不安感」についての論がいくつかの面から分析されそのうちの資料のひとつとしてゾンビ映画が部分的に使われておるのであれば「従」と申せると存じます。

gryphonさんのコメント
いや、「主従の判定」はたぶん、そういう基準ではないんじゃないでしょうか? そうじゃないと、一作品に集中した作品論はすべて「作品が主で、批評は従」になってしまうのではないかと思います

4 ● 椶櫚
●14ポイント

引用するための必須条件としては、

・引用する必然性がある事
・質および量的な主従関係が存在する事
・公正な慣行に合致する事

などが良く言われます。

必然性については、必要最小限の分量までしか認められません。つまり、その引用が無いと前後の解説についての理解が困難になるような場合に限って初めて引用が認められるという事です。極論すると、たとえばTV映像にUFOが紛れ込んでいる事をを紹介するようなケースを仮定した場合に、静止画のスクリーンショットでも十分なのでは?という事にさえなりかねませんし、厳密に法律を守りたい人ならそこまでで我慢するでしょう。不可解な動きを説明するためには動画でないと意味が無いんだという事ならば、理論として通らないでもないとは思いますが。

例えば3分の引用に4分「感想」の喋りやテキストを付ければ番組の引用は「従」になり、引用元を明記などすれば著作権法上認められる「引用」になるのではないでしょうか?

は量的な主従関係の要件こそ満たしますが、質的な主従関係が成り立っているかどうかとはまた別問題です。質的な主従関係は、必然性とほぼ同じ意味と考えていいと思います。

残る公正な慣行ですが、TV映像を引用する公正な慣行というものは存在するのでしょうか?。TV局が他局の古い映像を一部お借りして、というような慣行は確かに以前から存在しますよね?(おそらく借りる際には対価を支払っています)。インターネットの発達する以前から慣行らしきものが存在するのですから、仮に裁判で争ったとしても、その昔からの慣行に従うべきであるという結論が下されそうな気はします。正直、TV放送を公正な慣行に従って、映像として個人が引用するのは、いろいろな観点からハードルが高いように感じます。



その他、リンク先へのツッコミ(^^;)

全文文字起こしアップは質的な主従に相当する部分が一切ありませんね(その文字が無くても内容に実質的変化なし)。消されずに残っているのは、申し立てをする権利者側のチェック漏れか、受理する側の認識不足に過ぎないかと。

キング牧師とチャップリン、どちらも政治家ではないので、政治演説に関する著作権の除外規定は適用できないと思います。アメリカの事例なので日本では参考にはならないという点については同意ですが。

夏目漱石は1916年死亡なので、50年の著作権保護期間はとっくの昔に切れていますね。青空文庫にも収録されています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html


gryphonさんのコメント
ありがとうございます。漱石の文章が既に著作権が消失していることは周知の事実ですが、誰でも知っている文章を例にするため、一般論として例にしました。/チャップリンは映画の台詞ですが、キング牧師は「社会運動家」であり、ワシントン大行進が政治運動であることを否定する人はいないので微妙かと思います。「政治」「政治家」とはなんぞやといえば、議会や議員に限定されることはないでしょうから。

椶櫚さんのコメント
あぁ、良く見ると確かにそうですね。裁判所の判決文や官報などが著作権の保護対象外であるとかの条文が付近にあるのでずっと政治家の演説に限られるものとばかり思っていました。 なお、キング牧師の著作権は日本国内ではあと4年で切れるというのはその通りなのですが、youtubeのサーバーはカリフォルニアにありますので、良かれと思って原文の英文まで含めた形でyoutubeにアップすると、現地法の70年でつつかれる可能性が高くなると思います(英文を含まなくとも法的にはグレー)。つまり、公開するにしても、その公開の場がどこなのかという事も併せて重要になるということ。 あと、32条(引用)に書いてあるように、本来は、報道・批評・研究等の正当な目的に適ってこそ引用が可能なんです。動画のアップは報道でしょうか?、報道はTV局がすでに済ませており、アップした動画は報道内容を複製したものに過ぎません。では批評でしょうか?、専門的な解説を加えて閲覧者の理解をさらに深めるような内容を付け加えているならば批評と呼べますが、誰でも考え付くような感想程度では批評とは呼べないでしょう。もちろん研究ですらありませんよね。全文文字起こしアップなどになると知性のかけらすら認められず(感想よりさらに悪い)、裁判で門前払いを食らうレベルかと思われます。

5 ● あるぴにっくす
●14ポイント

https://www.tv-copyright.jp/qa/qa_03_03.html
"引用"だけなら

・公正な慣行に合致し、報道・批評・研究など引用の目的上、正当な範囲内で行われること
・主と従の関係があること(引用する部分が「従」)
・引用物には表記上明瞭な区別を設けること
・必要最小限であること
・出所(出典)は必ず明示すること (番組名、放送局名および放送日などを明示する)

で条件合致すれば許可不要です。ただブクマでも指摘あるように、引っかかっているのは著作権/引用の周辺ではなく、動画アップロード(複製権)にかかわっているかと。

そもそも動画、というデジタル形式は引用という旧来の用語に当てはまりにくいです。

分かりやすく、"演奏"を例にとると、ある有名な演奏家の演奏を批評する際にその演奏を録画した映像をYouTubeにアップする必然性があるか、というと、それは「無い」を言わざるを得ません。
そんなことをすると演奏家の作品に対する「複製」になってしまいますし、「3分過ぎのバイオリンが・・・」といった"言葉の記述"で十分に批評が成り立つからです。

TVの映像も同様に、映像そのものを録画したものを公衆が見れるような動画サイトのアップする必然性が無い上に、TVというメディアの権利(その時間にチャンネルを合わせないと見られない レコーダーに録画云々は除く)を侵害しているとみなされるのではないでしょうか。

※引用したサイトの他のページはTV側のサイトなのでかなり「TVメディア寄り」な記述です。でもそれだけに引用の定義を満たしていれば引用は可と言い切れるかと。


gryphonさんのコメント
ありがとうございます。 「デジタル万引き」も、裁く法律があるのかないのか長く微妙だったとも言われているように、「撮影」「録画録音」という20世紀になって登場した新概念に、法律がカバーしきれない部分があるのは当然かもしれませんね。そういえば「撮影と法」という観点から以前もこのはてな検索で質問したことがありました。 【盗撮などで有罪の犯人が「それでも映像は捨てない」と言い張った時、どうなるの?】http://q.hatena.ne.jp/1423273759 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150207/p4

gryphonさんのコメント
以前のまとめを再度。 ・「撮る」「撮影」という行為は、150-200年ほどの歴史しかない、新しい概念である。 ・だから、その前に基礎が定まった法律の概念に馴染まない点、法律が想定していない点がたくさんある。 ・特に大きいのは、いかに他者に対して迷惑だったり、実際に(悪)影響を持つとしても、『物理的』な権利を(一応は)物理的に侵害していないという点。 ・壊す、盗む、殴る…といった侵害とは違う。 ・そのへんの問題に関して、法律、政治、行政や社会はどう対処していくのか?

1-5件表示/8件
4.前の5件|次5件6.
関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ