それは顧問が人間としても、指導者としても失格だからです。
あなたたちぐらいの子供は先生なんだからとにかく何かえらいのだろうとか、従わなくてはいけないとか思っているのでしょうが、実際にはただ公務員試験を受かっただけの人間です。
まともな社会経験も無く、マネジメントとか、教育心理学なども知らないただの公務員なのです。
そして指導理論なども無いからみんなこの人間にかかわっていてはだめだと分かってやめていくのです。
先ずまともな指導者ならば部員をののしるとかありえません。
部員は褒めて伸ばすのが最も効率が良いということは、すでに教育心理学では常識になっています。
マイナスの負荷を与える指導などは、もはやパワーハラスメントであり、指導ですらないのです。
ある程度まともなテクニックを持っている人は、まともな指導とかも知っていますから、このような人間にかかわっていては駄目だと気づいてやめていくのです。
はっきり書きますがあなたもそのような人間のもとで学んでも、何も良いことはありません。
そして恐らく教えられた事の七割近くは間違いでもあるでしょう。
まともな指導理論も知らない人間ですから、ものすごく古く、すでに理論的に間違いと分かったことも平気で教えている可能性が高い。
まともな指導者の下で学びなおしたら、むしろそこでならったへんなくせを直すのに時間がかかったということにもなるでしょう。
貴方も賢い先輩に習って速やかにやめることをお勧めします。
ご愁傷さまです。
今まであった良い関係が無くなることは残念だろうとおもいます。
ただスポーツにせよ芸術にせよ、才能+練習量がうまさを決める部分があります。
もし天才的に上手い人がいたら、たぶん自分で土日などに教室に通っているとおもわれます。
学校での活動は勉学が第一、協調性が第二にくるため、
「この先生の下では上手くなれない」と知ってしまった部員にとっては、
つづけてもあまり得にならない。それで学校では勉強だけすればいいとして辞めたのでしょう。
顧問の先生の考え方や教え方を見たわけでもありませんが、
学校教育では勉強をうまく教える人がよい教師です。
部活の指導は先生にとってのボランティアでしかありません。
(実際、指導費など微々たるものですが、大会ともなると休日をつぶされます。その分の手当が出るわけでもありません)
年度によって、余った部をやめて足りない部にまわされることもあるようです。
そのためあまりよくわからない人、
向いていない人が顧問になっている場合もあるようです。
そのような状態に問題意識があるのなら、
学校にはもう頼らないというキモチをもって事態をみなおしてみてはどうでしょう。
親に告げ口をして「あの顧問は納得いかない」といってPTAで相談してもらうとか、
お金はかかるけどスタジオを借りて(カラオケルームでもよい)自主練習して上手くなって
顧問にくちだしさせないようにするとか、
いう方法が考えられます。
辞める先輩と今後も友達でいたいだけなら、
今までの天才を学校で発揮してくれなくなっても、
図書館で会うなどして友達でいればすむことだとおもいます。
アマチュア・カッポレ ? 集団にこそ生命が宿る ?
【過去】Brass
…… 新入生は、はじめて楽器を手にする者がほとんどで、それぞれ
嬉々として取りくんだ。ただし彼らの上達は遅々たるもので、しばしば
“ゴリ”の神経を逆なですることになった。
なにしろ“ゴリ”はトロンボーンを始めるにあたって、肺活量の鍛錬
“潜水泳法”を開発したほどの“コリ性”だから、一部の新入生が面白
半分に練習しているように見えたらしい。
「あいつら、演奏会には出さん」と言いはじめた。
ついに文化祭を目前に、与太郎と決裂する事態に発展したのである。
与太郎も、覚悟をきめて云いかえした。
「それを言うと、どっちかが辞めなあかんぞ」「ほなら、オレが辞めた
らええんやろ」こうして“ゴリ”は、憤然としてオーケストラを去った。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581021 Syncopation ? 決裂と和解 ?
【現在】Woodwind
指揮者だったわたしは、昨年春、顧問だった恩師の“卒寿祝賀会”を
主催し、当時のメンバー約半数と再会しました。「われわれは恐るべく
下手くそだった。いちばんの下手くそは、パリ音楽院に入学したほどだ」
「さらに“ゴリ”の外交手腕がなければ、演奏旅行など実現しなかった」
カナダ在住のフルート奏者とは電話で「彼らにチャンスを与えること
がわれわれの使命だった」と語りあい、大いに共感しました。
わたしの回答は、しばしば個人的な経験にもとづいて、数十年間もの
熟慮逡巡の結果なので、すぐには理解されないかもしれません。
たぶん質問者が、老人になって読みかえせば、思いあたるはずです。
…… 凡庸な演奏家が、いかに多くの傑作を封じこめたか(20120705)。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1290205287/a214712764
さらば、凡才 ? 作曲家の遺伝子を、演奏家が拡散する ?
【未来】String
わたしの持論は、あくまで課外活動“アマチュアリズム”の尊重です。
天才の中に素人が紛れこむより、素人の中から天才が出現するのです。
わたしは、指揮者としてメンバーを叱ったり褒めたことがありません。
ベース奏者が「一度も目を合わせようとしなかった」と語るほどです。
名曲の楽譜には、演奏者の喜怒哀楽を指示する記号は見あたりません。
ほんとうの音楽家は、演奏や解釈に関する議論に、興味がありません。
われわれは、シェイクスピアやゲーテを翻訳で読むように、ひたすら
試行錯誤しながら原譜を読みこんで、学ぼうとする楽徒なのです。
たどたどしい読み方でも、非難したり軽蔑すべきではないのです。
音楽の、もっとも重要な主題は、たとえ無伴奏であっても、曲自体に
和声進行があるので、アンサンブルやハーモニーが基本です。
会話や対話や議論の、ルールとテクニックが、共通の命題なのです。