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君主国での君主の子供たちのことです。プリンスかな。
イギリスの王室では、君主はキング(クイーン)で、王子は、プリンス。
ドイツ帝国では、君主は、エンペラーで、王子は、プリンス。
フランス王国でも、君主は、キングで、王子はプリンス。
フランス帝国でも、君主は、エンペラーで、王子はプリンス。
だったと思います、
なお、オーストリアでは、王子は、大公。
ロシア帝国でも、王子は大公。

ここから、質問ですが、
ルクセンブルク大公国や、モナコ公国、リヒテンシュタインはしらべればすぐわかりますが、
昔のドイツ帝国内にはたくさんの国がありました。
バイエルン王国、ザクセン王国という王国の王子様は、
なんと呼んだのでしょう。プリンスだと予想します。
バーデン大公国など大公国、ブラウンシュバイク公国など公国の王子様は?
リッペ侯国の王子様は?
もっと昔、選定候国や伯国の王子様はなんと呼んだのでしょう。

プロシアも、昔は辺境伯でしたが、その頃の王子様は?
選定候位取得後の王子様は?

長文失礼しました。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号
ベストアンサー

英語の prince には、大きく2つの意味があるのはご存知と思います。

  1. 君主の息子(あるいは孫や女王の夫)
  2. 小さい国あるいは地域の支配者

「2の意味でのプリンス」の息子(プリンスのプリンス)はなんと呼ぶか、というご質問と推察します。

少なくともドイツ語では、この2つは別の言葉になります。

2の意味でのプリンスに当たるのが、Fürst(フュルスト)という言葉です。

帝国(引用者注:神聖ローマ帝国)諸侯は時代を経るごとに権限を増し、もはや領主や代官ではなく、帝国(実態は皇帝を盟主とする連邦であった)の構成国家たる領邦の君主というべき存在となった。

フュルスト - Wikipedia

爵位としてのフュルストは公爵(ヘルツォーク)と伯爵(グラーフ)の間に位置しますが、リヒテンシュタインやモナコの国王もドイツ語ではフュルストです。

The present-day rulers of the principality of Liechtenstein bear the title of Fürst, and the title is also used in German when referring to the ruling princes of Monaco.

Fürst - Wikipedia, the free encyclopedia

これに対して、1の意味でのプリンスは、Prinz(プリンツ)になります。

英仏においてはprinceという称号は、爵位以外の役割を果たすことがある。例えばイギリスにおいては、princeという称号は国王の親族男子の称号として、フランスにおいては国王の遠縁の親族男子の呼称(prince du sang)や公爵の長男の称号として用いられる(日本の皇室における親王や王に近い。)。このような称号としては、ドイツ語圏においては Prinz(プリンツ)が用いられており、フュルストは用いられない。

フュルスト - Wikipedia

なお、世継ぎの王子(日本で言えば皇太子)を表すものとして、Erbprinz(エルププリンツ)という言葉もあるようです。


匿名質問者さんのコメント
丁寧なご説明を頂き、ありがとうございます。 リヒテンシュタインの王子たち、モナコの王子たちは、 ドイツ語では、Prinz、英語では、princeとなりますね。 一方、 君主は、ドイツ語では、F?rst、英語では、prince ということでしょうか。 英語だと、君主と王子が同じになってしまいますが、 そこは仕方がないということですね。 また、ルクセンブルクですが、こちらは、ドイツ語、英語ですと、 君主は、Grandduke か、Gro?herzog で、息子達は prince か prinz になって、英独どちらでも明確になりますね。

匿名質問者さんのコメント
エルブプリンツの件、大変ありがとうございました。 クラウンプリンスに対応すると感じました。 大変、考えさせられるサイトです。 >ドイツ帝国の大公、公爵、侯爵(フュルスト)、辺境伯、方伯の >法定推定相続人を、その他の親族男子たちと区別して扱うために、 >伝統的に用いられてきたエルププリンツの称号は、 >1918年のドイツ革命に伴い公的には姿を消すことになった これに従えば、ヘルツォーク、フュルスト、マルクグラーフ、ラントグラーフ、 の法定推定相続人は エルブプリンツと呼ばれることになります。 すると、ホーエンツォレルン家では、ブランデンブルク辺境伯のときも、 プロイセン公国のときも、プロイセン王国でも、世子は、エルブプリンツだった と解釈できます。ただ、エルブプリンツという呼び方は、いつごろから始まったか そこも確かめないといけませんが(ドイツ帝国成立時なのか、など・・・補足)。 また、ただのグラーフの法定推定相続人も、そのように呼ばれるのか、 いや、これは、領邦君主の場合だけか、ということも気になりました。 (極論すると、シュタウヘンベルク大佐の長子は、Erbprinzであり、 ツェッペリン伯爵の子供も、長子はErbprinzであり、 ビスマスク侯爵の子供も、長子はErbprinzになってしまうからです. ただまた、ドイツでは、長子以外も、爵位を継いだりするので、 領邦君主の爵位と一般貴族の爵位では根本的に違うのかもしれません。) なお、法定推定相続人以外は、ただのPrinzと呼んでよさそうな そのような気がしてまいりました。これも、少し乱暴な推測かもしれませんが。 そういえば、英国王室も、アルバート公が王婿になって以後、しばらくは、 王子たちは、 ザクセン大公国のPrinz/Princeを名乗っていました (もちろん、君主たる「GrandDuke」を名乗ったりはしていませんが)。

匿名質問者さんのコメント
(補足)宮中伯の法定推定相続人に触れていないところを見ると、 すでに、宮中伯というタイトルに言及する必要はなかったのではないか、 と想像します。 すると、ドイツ帝国の成立時に、決まったルールかな、と。 なお、バイエルン国王は、 ライン宮中伯のタイトルを保持していなかったんだろうか、 と思いました。

質問者から

調べてみました。リヒテンシュタインの君主は、ドイツ語でフュルストでした(英語ではプリンス)、長子は、ドイツ語でエルブプリンツ(英語でプリンス)、次子は、ドイツ語でプリンツ(英語でプリンス)でした。英語を見ると、長子の方がもったいぶって見えるから不思議です。

このようなことは、モナコについても同様だと思います。しかし、英国人は不都合を感じていないわけですから、日本人が、リヒテンシュタイン候国か、モナコ公国か、と公国と侯国で頭を悩ます必要もないと思いました。ただし、西欧人と社交で話す場合に、敬称の付け方を誤ったりする危険はあります。また、英文記事を読んだとき、予備知識がないと混乱します。


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