人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

仮に神が存在するとして、あなたはどのような方法で神を見つけだしますか?
見つけだすことができるであろう方法を教えてください。
※多神教を前提に考える方は、主神を見つけだす方法を教えてください

●質問者: 53125265436776
●カテゴリ:科学・統計資料 人生相談
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 9/9件

▽最新の回答へ

1 ● lionfan2

理系の多い「はてな」で、多くの人が納得してくれそうなアイデアを示すとしたら、「この宇宙が偶然でできたということはあり得ない、と証明すること」だと思います。それはつまり、何かしらの意志によってできた、つまり創造神的なものの存在を認めることになると思うからです。理論物理学が進展すれば、もしかしたら神の存在証明はできるかも、と思います。自分には難しいですが、人類に不可能とも思いません。

自分は物理学はぜんぜん詳しくないのですが、物質や時間に最小単位がある、という研究結果があるそうで、それは「けっこう現実世界の解像度が荒い」、つまり、「この世はシミュレーションされた世界かもしれない(=創造神の仕業?)」という傍証になると思いますので。


53125265436776さんのコメント
物質宇宙が偶然できたのか、創られたのか、確かにそこが分かれば神の存在も見えてきますね。個人としては理論物理学の発展を期待するしかないですね。お答えくださりありがとうございました。

質問者から

人類全体としてではなく、個人としてできることがあれば、それも答えてくださると嬉しいです。


2 ● なぽりん

神とは、「帽子をひっかけておくため壁にうちつけた釘」のようなもの。
神とはある一定の機能のことである。
釘に帽子をひっかける機能が見いだせるかどうかは見る者によって違う。
たとえば床から2メートルの場所にある釘は幼稚園児には手が届かないし見えもしない。
帽子をかぶらない人はちょうどよい高さにある釘をみても
帽子をひっかけようとはおもわず単なる装飾か邪魔な突起であると認識する。
神を見つけるとは、言葉を話す人間に、その他の悩んだ人間を救う機能が存在することを認識することである。
神を見つけるにはすでにその機能の存在を知った人に、教えてもらうのが手っ取り早い。
「この釘は帽子をひっかけるためにあるんだよ」と。
まあ、存在を知っても必要のない人、その手の機能を使用しないと決めている人、は
釘とおなじようにいつでも帽子を待ち受ける神がいるということを、
すぐ忘れてしまうんだけれども。


53125265436776さんのコメント
なぽりんさんのおっしゃる神は、全能といった概念からは離れた神ですね。一機能としての神ですから。そのような神ならば私には必要ないでしょう。しかし私にとっては新鮮な考えでした。お答えくださりありがとうございました。

なぽりんさんのコメント
全能の他に全知はご入り用でないですか? 目の前にあるネットにつながった知恵の箱がそうかもしれませんけど。

3 ● crazycrescent

>仮に神が存在するとして、あなたはどのような方法で神を見つけだしますか?
私なら、神の実在を探す(見る会う触る等)は、おそらく難しいとして考えません。
それでもその存在、実在を探すのが難しいものの存在を探すなら、「サンタクロース」「サザエさん」のように、皆が同じものを思い浮かべていてそれが大幅にずれていない、全員の共通理解を見つけられれば、それをもって存在としたいと思います。

(それは言葉の意味、つまり語義を厳密にしているだけだ、というのはもっともな指摘ですが、えーと、言葉があれば存在するとか(「存在しないものは言葉すら作れない」の対偶)、言葉には言霊が宿り、言い続けているといつしか実現するとかそういう類のネタで、理系の多い「はてな」で、多くの人を煙に巻けそうなアイデアです。)


ですから
1:できるだけたくさんの人に神についてのイメージを聞き取り調査します。有力な聖職者あたりからはじめるといいかもしれません。もちろん人によって違いがあるでしょうし、宗派によって大幅な違いがあるでしょう。
2:そこから最高度の分析力を働かせて「これなら誰もが一応の納得を見る神のイメージ」をあぶりだします。
この神のイメージを提出すれば、誰もが一応納得する=存在を認める、神の姿が現れるだろうと。


1についてはすでに終わっているも同然なので(さまざまな宗派の聖典と注釈を分析すればいい)、2ができるかどうかにかかっているでしょう。
まあ、極めて至難なのか、いまだにできてはいませんが、もしそれができれば、たぶん、ほとんどの対立がなくなるか、もしくは神の名の下に対立は解消され、世界に平和が訪れるでしょう。


ね?神が現れる=世界が平和になる、という図式になるじゃないですか。「神がいるか」について、それっぽいオチになってません?




おしまい。


追伸:
>人類全体としてではなく、個人としてできることがあれば、それも答えてくださると嬉しいです。
に対して、個人で「最高度の分析力を働かせて『これなら誰もが一応の納得を見る神のイメージ』をあぶりだす」ことができるかどうかですが、現実的には難しいでしょうねぇ。
でも、マザーテレサみたいに、まったくの徒手空拳でかなりいいところまで行った人もいるし、この世に神を顕現させるべく頑張ってみてはいかがっすか?


4 ● たけじん

バリバリ理系の私にとっては、八百万の神はいるんじゃないの?であります。
だれが決めたんだか、様々な物理・化学現象は、理屈じゃなくて理不尽な取り決めも多くて。
どう見ても、「自然」ではありません。悪意とか頭の悪ささえ感じます。
自然対数の底とか、プランク定数とか、光の速度とか…
誰かが、エイヤッて決めたんじゃね?て感じです。

これらの独立事象を、むりやり因果を結び、相関をでっちあげると、それは宗教になってしまう。

だから、理系にとっては、神は居てもいなくてもどっちでもいい、になるでしょう(ね、ドーキンス博士)。

でも、「神というやつを定義して、同じテーブルで議論しましょう」が基本スタンス。
理系としては、追試ができることが重要なのです。
しかし、各自の脳内に存在する神の定義を”言語”で表現することは、極めて困難なのでしょう。いまだに、神を信じている人々の間でも、定義は定まっていません。


で、答えは出ているでしょ?万民がもう手に入れているんです。


キリスト教徒が良く叫んでるでしょう?

「Oh My God!!」(嗚呼、私の”定義した”神よ!)と。


1-5件表示/10件
4.前の5件|次5件6.
関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ