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徳川幕藩体制では、平島公方はなぜ不遇だったんでしょうか、喜連川氏とは差がありすぎます。
逆に、喜連川氏が優遇されているのがおかしいとみるべきかもしれませんが。


●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号

喜連川氏は確かに別格に近い厚遇ですが、平島公方家は冷遇されたというよりは『普通』ではないでしょうか。
喜連川氏は歴とした関東公方の嫡流(古河公方と小弓公方に分裂したのを再統合したという意味でも文句なしの嫡流)ですが、平島公方はせいぜいでも
「将軍位争いで正統を一時期争ったことがある傍流が敗北後に辺境の地に逃れて生き延びた子孫」
という程度の存在です。厚遇したくなったとしても、むしろその理由付けに困るぐらいではないでしょうか。


匿名質問者さんのコメント
どうも有難うございました。たしかに、喜連川氏は、それなりですね。 山名氏や吉良氏は、四職とか御所号とかを名乗るという、室町幕府の下での超名門ですが、徳川氏に対して、また、その直前の織豊政権でも、特に貢献をしておりません。しかし、高家だとか交代寄合だとか、旗本の最上位を占めています。平島公方への冷遇が際立つように思えます。 (私の質問の仕方が悪かったかもしれません。済みません)
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