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旧約聖書:ペリシテ人と戦う場面がありますが、ペリシテ人人は、アダムとイブの子孫ではないということになっているのでしょうか。エジプトに行き、その後、奴隷となってしまう話がありますが(そして脱出へ)、エジプト人はアダムとイブの子孫ではないのでしょうか。バビロン捕囚の時、カルデア人は、アダムとイブの子孫かどうか、どういう風に整理していたのでしょうか。
神学者はそういうことも厳密に整理していこうとする人たちに見えるので、どうなっていたんだろうか、知りたいと思いましたので、お願いいたします。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

人類は、全員、アダムとエバの子孫です。

聖書には、
アダムはセツを産んだ後、○○年生きて、息子と娘を産んで、そして死んだ
と書いてますので、
名前を書いてない子供たちも、沢山いました。

ノアの洪水では、
ノアと、息子のセム、ハム、ヤペテと、
四人の奥さんの、合計八人が乗って、
それ以外の人類は死にました。


セムは、ヘブライ人とアラブ人と、その他のアジア人(聖書が書かれた当時のアジアなので、中国人は知られてなかった)の先祖になって、

ハムは、エジプト人とカナン人とエチオピア人、その他の黒人たちの先祖で、

ヤペテは、ヤワン(ギリシャ人。イオニアのヘブライ語での読み方)などの、白人たちの先祖になりました。

ペリシテ人は、ヤペテの子孫です。





聖書の創世記では、
ノアの洪水の前の時代に、

神の子たちが降りて来て、
人の娘を妻として、
ネフィリムが生まれたと書いてます。

ネフィリムは、ヘブライ語の、「落ちる」とかいう単語に似てますけど、
なぜか、昔ギリシャ語に翻訳された時に、「巨人」と訳されました。

ヨシュアの時代に、アナク人の領土を偵察して帰って来た人が、
アナク人は背が高かったので、
「アナク人はネフィリムの生き残り」だと言いました。
アナクは、ヘブライ語で「巨人」という意味です。

ヤペテの子孫も、背が高い人種が多いので、
ペリシテ人で、大男のゴリアテの事を、
ネフィリムと言ってたと思います。


2 ● 匿名回答3号

最初の回答にありましたように、聖書では、人類はすべてアダムとイブの子孫ということになっています。さらに言えば、アダムの9代後の子孫ノアの時代に、洪水によってノアの家族以外の人間は全滅したので、彼の3人の子供たち(セム・ハム・ヤペテ)が全民族の祖ということになります。

創世記10章によると、エジプト人(ミツライム)はハムの子孫とされています。また、エジプト人からカフトリ人が生まれ、ここからペリシテ人が生まれたとされています。
(ただし、考古学的にはペリシテ人の起源はエーゲ海沿岸であると考えられています)

カルデア人の起源ははっきりと書いてはありませんが、聖書的にはノアの子孫ということで間違いないです(創世記10章「地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た」)。なお、バベル、ウルク、アッカドといったカルデアの都市国家はハムの子孫ニムロドが築いたとされている他、旧約聖書の最重要人物にしてユダヤ教の始祖アブラハム(セムの子孫)は、カルデアのウル出身となっています(創世記11章)。

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