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江戸幕府の五代将軍「徳川綱吉」と八代将軍「徳川吉宗」では、どちらの方がより将軍独裁の色合いが強かったのでしょうか?

●質問者: unakun
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

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1 ● miharaseihyou
●500ポイント

たぶん綱吉です。
綱吉は家康の直系ですが、吉宗は紀州の出です。
おのずから幕臣や諸藩に対する影響力が違ってきます。


unakunさんのコメント
吉宗も家康の男系子孫ですが。。 家康→頼宜→光貞→吉宗です。 綱吉の子孫は一人も将軍になっていませんが、9代将軍家重?14代将軍家茂まで、全員吉宗の男系子孫です。 8代将軍以降は、徳川将軍家=吉宗の子孫、という図式が出来上がっていると思います。 だから、吉宗も8代将軍になった以降は、直系と言っていいように思うのですが。。。

miharaseihyouさんのコメント
当時の相続は長子相続。 これは鎌倉&室町以来の分割相続によって戦乱の原因を作った反省に基づく制度です。 幕府の天領は徳川本家の惣領が全て継ぐシステムです。 しかし、ものがものなので血統のスペアを用意した。 いったん分家となって紀州に一家を構えれば親藩として血統のスペアになります。 直系が絶えた場合にだけ出番が来る。 しかも吉宗は紀州の長男ではない。 上が全部若死にして転がり込んだ紀州の跡取りの地位、それだけでは済まず将軍家の方も全滅しちゃって跡目に推された。 普通は幼い頃から近司に部下を多数揃えるものですが、そういった支える者も薄い。 綱吉は血の気の多い幕臣たちを温和しくさせようと生類哀れみの令を作るだけの才覚と実力があった。 http://matome.naver.jp/odai/2140673467374341701 吉宗は中途半端な財政再建をやりかけただけ。

2 ● youtaiga
●500ポイント ベストアンサー

徳川綱吉だと思います。
江戸幕府の意思決定は基本は、評定所や老中の合議で決められていました。
でも、綱吉は評定所の決定をひっくり返したり、側用人を置いて老中の権力を落としたりして、将軍独裁に近い体制だったかと。

吉宗のときは側用取次はいましたが、綱吉のときの側用人よりは老中を重視していたと思います。

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