▽1
●
shidho ●225ポイント ベストアンサー |
A1.
日本に住んでいて軍医という日本向けの仕事をしていたから、ドイツ語で書いて見せる、という需要が本人にも受け手にもなかっただけでしょう。
実際、ドイツにいた時には、森鴎外は本名の森林太郎名で「Allgemeine Zeitung」1886年12月29日号に「日本の実情」と題したドイツ語の文章を、1887年2月1日には「日本の実情・再論」と題したドイツ語の文章を掲載していますので、「ドイツ語の著作を遺さなかった」は、厳密には誤りです。
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/92_03_06.pdf
A2.
英語教師 夏目漱石 (新潮選書)という本に、夏目漱石と英語との関わりが多く書かれていますが、そこから類推すると
「日本で第一人者から3年英文学を学んだが、英文学はわからずじまいだった」
「留学先のロンドンでは主に先方の訛りがわからず会話に苦労した」
「教育では文章よりも会話を重視した」
あたりがその理由のみえる一端ではないかと思われます。
ロンドン留学のあたりからの夏目漱石の日本語著作は言文一致体が高い評価を得ています。夏目漱石は英語全体の能力は高かったが、現地の言葉には疎かった。そもそも英文学はいまいち理解できない。これでは英語での言文一致体小説は書けません。
A3.
樋口一葉の生涯にフランスが関わることはありませんでした。
高等小学校退学後、和田重雄、中村歌子に師事しますがこれは和歌方面です。
樋口一葉が小説を書くきっかけとして影響を与えたと言われる三宅花圃にもフランスとのつながりはありません。
親友の伊藤夏子が通ったのはアメリカ北部バプテストの設立した駿台英和女学校。
恋人同士と噂されたこともある半井桃水が勉強した外国語は英語。
フランスとのつながりがない以上、フランス文学に学ぶ以前に、フランスに興味を持つこともかなわなかったでしょう。