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戦没者の戦死時乗船していた船の船名を知りたいのですが、小生の義父は昭和18年3月3日ニューギニア島とニューブリテン島の間のダンピール海峡付近で連合軍の空爆に会い、乗船していた貨物船が沈没して亡くなっています。義父の所属部隊は満州派遣基第2804部隊でした。この日沈められた輸送船は7隻あり、その内のどの船に乗っていたかが分かっていません。乗船名簿などあるのか、どこに記録があるのか、どこで調べれば良いのかを教えてください。

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●質問者: asnaro_7
●カテゴリ:学習・教育
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● a-kuma3
●200ポイント ベストアンサー

満州派遣基第2804部隊は、歩兵第百十五連隊に所属し、終戦時には第五十一師団の指揮下にありました。

日本陸軍の部隊一覧 (歩兵聯隊) - wiki31ja
歩兵第百十五聯隊 基2804 1937.10.18
1940.08 1939.08
終戦 高崎
高崎 高崎
東部ニューギニア 第百十四師団
第五十一歩兵団 115i

第五十一歩兵団 (日本陸軍) - wiki31ja
終戦時の戦闘序列
南方軍>第十八軍>第五十一師団>第五十一歩兵団

隷下部隊
終戦時の隷下部隊
歩兵団司令部
歩兵第六十六聯隊
歩兵第百二聯隊
歩兵第百十五聯隊


昭和十八年の八十一号作戦の目的は、第五十一師団をラバルウからラエに輸送することだった。

http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12onketsu/O_12_483_1.pdf
三月一日
「八十一号作戦」が発動され、第五十一師
団七三〇〇人は八隻の輸送船に分乗、午前


八十一号作戦を構成する輸送船と、乗船者の人数。

戦没した船と海員の資料館
八十一号作戦 第五十一師団
旭盛丸、建武丸、太明丸、愛洋丸、帝洋丸、大井川丸、神愛丸、野島

http://www.jsu.or.jp/siryo/sunk/pdf/danpiar.pdf
旭盛丸
第五十一師団将兵1283名 船砲隊62名
戦死 将兵464名 船砲隊21名 船員1名
輸送指揮官:西川 陸軍少佐
建武丸
将兵25名 戦死24名
輸送指揮官:長谷部 陸軍少尉
太明丸
第五十一師団関係部隊 202名
戦死 船砲隊35名 船員44名
輸送指揮官:土屋 陸軍中尉
愛洋丸
第五十一師団関係部隊 将兵252名
戦死 将兵230名 船砲隊48名 船員45名
輸送指揮官:清水 陸軍中尉
大井川丸
第五十一師団 将兵1210名
戦死 将兵1100名 船砲隊51名 船員78名
輸送指揮官:遠藤 陸軍大佐
神愛丸
第五十一師団 将兵1053名
戦死 将兵20名 船砲隊25名 船員16名
輸送指揮官:本道 陸軍中佐
野島
第五十一師団 将兵1225名
戦死 将兵400名
帝洋丸
部隊要員1988名
第十八軍司令部 将兵 29名
第三揚陸隊 将兵 163名
第五十一師団司令部 将兵 58名
野砲第十四連隊 将兵 134名
歩兵第百十五連隊 将兵 946名
第五十一師団通信隊 将兵 240名
第五十一師団兵器勤務隊 将兵 49名
第五十一師団防疫衛生隊
第三野戦病院 将兵 25名
第二百九十飛行場大隊 兵 5名
工兵第五十一連隊 将兵 166名
船舶工兵第八連隊 将兵 173名
合計 1,988名
戦死 将兵1882名 船砲隊15名 船員18名
輸送指揮官:渡辺 陸軍中佐

歩兵第百十五連隊は、「帝洋丸」に乗船していたらしいです。
上記で「第五十一師団関係部隊」と記載がある「太明丸」か「愛洋丸」がちょっと気になります。



ネットの検索だけでは特定まではできませんが、乗船名簿がありそうなところがあります。

硝煙の海
0330 秘史その三
丁度その時、私は必要があって知人から「日本郵船戦時船史」を借り受けておりました。この船史は上下二巻二千ぺージにわたる貴重な記録で、昭和四〇年末から四六年迄五年の歳月をかけて編纂されたもので、昭和一六年から二〇年迄の戦時下に遭難した日本郵船二三七隻、三菱汽船四八隻を確実な資料と生存者の談話とを基に各船毎に遭難前後の状況を詳細に記述したものです。
...
これらの方々は「戦没船員の碑」に祀られています。房総半島が遠く霞み、大小の船舶が行き交う浦賀水道を見下ろす三浦半島、観音崎灯台下の丘陵の樹林の中に「戦没船員の碑」がひっそりと建っていました。

末尾に書かれている「戦没船員の碑」は、日本殉職船員顕彰会というところが建立したようです。

公益財団法人殉職船員顕彰会 戦没船員の碑
〇 戦没船員と戦後の殉職船員の奉安(浄書)
戦没船員や戦後の殉職船員の奉安は、永久保存が可能な和紙に、没年月日と氏名を浄書し、ステンレスの箱におさめて奉安されております。


そちらには、戦没船員名簿が保管されているそうです。

公益財団法人殉職船員顕彰会 当会保管の諸資料
〇 戦没船員名簿
戦没船員の碑に奉安されている方々の名簿は、人名別に編集した名簿(A4版約400ページ)6冊と船名別に編集した名簿(A4版約400ページ)6冊に分けて作成され、当会に保管されています。


a-kuma3さんのコメント
直接の手掛かりにはならないかもしれませんが、歩兵第百十五連隊に関しての記載がある書籍が記載されています。 >> http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3051232_po_31-05.pdf?contentNo=1 p33 ? 歩115連 51師(基) 高崎 ウエワク (基2804) <<

fiwaさんのコメント
米国立公文書館で撮影されたマイクロフィルムが国会図書館にあって、そのカタログにこんなのがあるみたいです。 >> 『帝洋丸遭難時ノ状況及其ノ對策』(基二八〇四部隊); << http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/tmp/YF-A41.pdf [https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/yf-a41.php:title]

a-kuma3さんのコメント
>https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/yf-a41.php:title> 米海兵隊が戦地で鹵獲した日本軍の公文書や兵士の日記や手帳の原本。 << 沈没で亡くなられていると可能性は低いかもしれませんが、手帳や日記の類が手に入るかもしれませんね。

asnaro_7さんのコメント
詳しく沢山の資料情報を頂きましてありがとうございました。戦史を学ぶほど先の太平洋戦争ほど馬鹿げた戦争は無かったとつくづく思います。南方では餓死者や病死が50%以上で、はるかかなたの地で補給がないための結果でしたね。これを招いたのは大本営の責任ですね。でもこれって一面日本らしいと感じるのです。今の日本でも原発問題や政府の政策を見ていると無責任で非科学的なところが変わっていません。 ところで義父が乗船していた船は帝洋丸か大井川丸が可能性が高いようですが、資料によると51連隊は神愛丸、旭盛丸にも分乗しており特定が難しいようです。さらに調べたいと思っています。

a-kuma3さんのコメント
>http://www.kenshoukai.jp/siryou/siryou.htm#1:title> 〇 データ?ベース化 これらの資料については、日本財団よりの助成金を得て、平成14年度の事業として、パソコンによって迅速に取り出せるデータ?ベース化に取り組み完成しました。当会にご一報いただければ、関係資料をご送付いたします。 << データーベース化といっても、Excel で読めるようにしたというようなことだと思います(普通の人が読めないと意味がない)。 当地まで赴かなくても調べることはできそうなので、殉職船員顕彰会に連絡を取ってみるのが良いと思います。 直接の資料がなくても、戦没者の遺族とのコネクションがありそうなので、そちらにも期待できるかもしれません。
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