貧困については、どの話か分かりませんが、ミレニアムプロジェクトなど定められていましたが、驚くほど改善していないでしょうか?ネットを始とする科学技術の勝利だと思います。今の時代ほど自由に食料が手に入る時代は人類史を見てもそう多くはないと思います。縄文時代は裕福と言われますが人が圧倒的に少なく事実上の耕作面積が膨大でしたしね。また、平均寿命を見ても良い状態とは思えませんしね。
不幸な事件については、食べられるようになれば、社会権などのカロリー以外の他の自由も欲しくなったり、格差がよく見えてくるなどの話ではないでしょうか?
インターネット利用が進んだ国、学校が整備された国においても貧困は無くならず不幸な事件も存在します。
インターネットは情報の発信や共有を行うための道具であって、貧困を減らし不幸な事件を防ぐ道具ではありません。
例えば道路。道路が整備されれば物や人の流通は活発になります。
食物や資源が手に入りにくかった地域は道路の改善により、低コストでそれらを得ることが出来るようになったり、他地域へ物を輸出することが出来る様になることで、貧困が改善される可能性はありますが、同時に、外部の安い資材が入ってくることによって地元でその資材によって収入を得ていた人が貧困に陥る可能性もあります。
メリットもデメリットも考えられます。でも、道路を建設しないなら、そこが変化する可能性は発生しません。
道具の整備は可能性の拡大のために行われるのです。その可能性をどの方面で広げていくか(どの方面で潰していくか)はそれを利用する人々次第です。
貧困地域で学校を作る理由も一緒です。
学校もまた、ある程度まとまった情報の共有をするための道具であると言えます。
学校建設が貧困や不幸な事件を直接的に減少させるわけではありませんが、そこに通う人の持つ情報が増えることは、その人の人生の可能性を広げます。それによって間接的に貧困状態や不幸な事件の減少の可能性を増やすことが、学校建設の目的といえるでしょう。
道具の発達で止まるのではなく、道具をどう活用するかを考え、より良い活用を目指すことが大事なのだと思います。