人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

九段線の出てきた件(下記の?)について、教えて下さい。
下記の??は中華民国と理解しております。
さて、?は、中華人民共和国のようですが、どういう経緯でしょう?
⇒ 中華人民共和国は、
いったん、11段線を引き継いだことを宣言した、
というわけではなくて、
9段線を示したのでしょうか。
中華人民共和国政府としては、
金門島での戦闘などで、実際には大忙しだったと思います。

⇒ 中華民国は、どうなったでしょう。
形式的にみれば、
依然として、11段線を主張している
という状況でしょうか?
(馬政権と蔡政権では実際には違うかもしれませんけれど)

???とは次のとおり・・・
?1930年
中華民国政府が発行した地図。
そこに、南シナ海の島嶼の領有権が示されていた。
?1947年
「中国の権威が及ぶ範囲の限界」として、
南シナ海に11の区画線からなる「11段線」を引いた。
?1953年
区画線を2本、削除し、現在の九段線の形にした。


●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:政治・社会
○ 状態 :キャンセル
└ 回答数 : 0/0件

▽最新の回答へ

質問者から

上記の質問本文では?を取り上げてます。どうぞよろしくお願いします。


次に??の件なのですが、?の時期は、国民政府(蒋介石政権=南京)が北伐を完了した直後ですね。日本は、東アジアの軍事強国として存在していたはずですが、この状況のなかで、中華民国政府は、地図を発行したということですね。特に、対外的に宣言するとか、そういうことはせず、政府が地図だけ発行したということでしょうか?
政府機関が地図を発行したとは、中国国内で、市販されたということを言っているのでしょうか?。
(中国の深謀遠慮には驚かされます。いずれ日本が弱体化すれば、
その時に、生かすというのでしょう。
まぁ、それはそれとして)
日本は、中華民国政府発行の地図には、気が付かなかったのでしょうか? もしも気が付けば、何か言いそうだと思いますけれど(戦後の日本政府なら何も言わないかもしれませんが)。
また、その後、国民政府から汪兆銘が脱出して新政権を作りますが、この汪兆銘政権は、この地図の立場を踏襲していたんでしょうか?
大東亜会議ではどういう扱いになったんだろうか、あえて触れなかったのか?(汪兆銘政権は、大東亜会議では中国の正統政権として参加)。


関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ